宍戸妃依は眠れない-4
着替えさせ始めてしまえば、身体に染み付いていた分、聡は真面目であった。丁寧に汗を拭いたり、体を支えながら着替えさせてくれたり、感動するほど手際が良かった。
まあ、極力、見ないようにしてくれていたお陰もあるのだろうが。
「はぁ、はぁ、何でだろ、理不尽なくらいに疲れた気がする…」
「…お疲れ様です」
「どっちかって言うと、気疲れだよ…自分との戦いだった、はは…」
「…ええ、あんなに体中触られたのに、全然いやらしく感じませんでしたから」
「千切れる寸前だったけどね…理性とか…」
「…すいませんでした、無理言って」
妃依は、本当にすまなそうに言った。
「いいよ、得した気分だから、色々と」
「…じゃあ結局、しっかり見てはいたんですね」
「そ、そりゃ、見ないと着替えさせられないから…ねぇ?」
「…いいですよ、別に、気になりませんでしたから」
ふふ、と微笑む。
「…そういえば、今日は、泊まりで看病してくれるんですか」
「だって、ひよちゃん、一人では満足に動けないのに、帰る訳にはいかないだろ?」
「…ご迷惑かけます、先輩」
それからは、特に症状が悪化することも無く、十時をまわる頃には身体はすっかり回復した。一人でいたなら、こうも早く治ったりはしなかっただろう。先輩には本当に感謝している。
そして、午前二時過ぎ。
夜中にふと目が覚めた。
「…」
ちらり、と横を見る。
聡は椅子に座ったままで船を漕いでいた。
「…」
何となく、そう、本当に何となく、聡の唇に目をやった。
「…あ」
少しだけなら、気が付かないかも知れない。そう、例えば、かすらせるだけとか―――。
「…何、考えてるんだろ、私」
かぁっ、と身体が熱くなるのを感じた。
「…でも、本当に、少しだけなら」
と、悪戯をするような気持ちで少しずつ身を乗り出して、自分の顔を、聡の顔に近づけていく。
「…やっぱり、駄目」
あと、ほんの数センチという所で顔を止める。が、
「っ…!!」
不意に傾いだ聡の顔が、丁度よく、その数センチを縮めてしまった。本当に不意な―――キス。
「ん…」
時間にしてどれ位、合わせていたのだろうか。一瞬か永遠か…とにかく、その口付けを先に離したのは、力が抜けてしまった妃依だった。
「…は、は」
幸か不幸か、聡が目覚めた様子は無い。
「…あは、は」
望んでいたことなのに、余りに突然で予期せぬ展開に、拍子抜けしてしまった。
「…はは…」
まだ、感触が残っていた。それを想うと、ふと、心が痛んだ。
「…私だけ…何だか、卑怯」
涙が、零れた。
翌朝、妃依が目覚めると、聡は既に帰る支度をしていた。
「…おはようございます、帰るんですか、先輩」
あの事については、自分の胸の内にしまっておく事にした。下手に話して、ややこしくなるのも嫌だし、何より、自分の心に折り合いがつかないと、話せない。
「ああ、おはよう、もう、身体は大丈夫?」
「…はい、概ね問題無いです」
「そう、よかった。看病した甲斐はあったな」
「…はい、何から何まで、ありがとうございました、先輩」
「別にいいよ、元はと言えば、俺が勝手に押しかけてきたんだし」
「…あ、そういえば、そうですね」
自然に笑みがこぼれる。
「平気みたいだから、俺、もう行くね? さっき、姉さんが飯を買って来いってメールを寄こしたから…早めに買って帰らないと大変なことになりそうなんで」
たら…と、聡の顔に冷や汗が伝う。
「…そ、それなら、早く帰った方が」
「ゴメン、じゃあ、お大事に!!」
言うが早いか、聡は殆ど全速力のスピードで帰っていった。余程、琴葉を恐れているに違いない。
「…琴葉先輩…姉さん…か」
ちょっと、妬けてしまう。
「…義姉さん、とか」
ああ、また自分はくだらない事を考えている。やめだ、やめ。
とにかく、お風呂にでも入ってさっぱりしてから、もう一度眠ろう。
何故だか、ゆっくり眠れる気がするから。