宍戸妃依は眠れない-3
―――夢を、見ていた。
混沌とした夢。
昼間なのに辺りは昏く沈んで、夜なのに月も星も出ていない。ただ、何かが煌々と灯っている気配だけが感じられた。
自分が立ちすくんでいるのは廊下なのか、裏通りなのか、公園なのか。
周りに立っているのは見知らぬ誰かなのか、青い街路樹なのか、赤いパイロンなのか、それとも自分なのか。何も分からない。
そして、声が聞こえてくる。呻く様に楽しげな声。気持ちが悪い声なのに、つい、聞きたいと思ってしまう、そんな声。
急に目の前が白に包まれ、扉のようなモノが現れた。入り口はない。何故か気持ち悪い。気持ち悪い。
「…あ」
声が出た。自分の声かどうかは分からなかったが、仕方がない。そういう風になっているのだから。
「…うあ…」
衝動が後から後から、押し寄せるように、声を出していた。止まらない。
「…ああああアアアアアッ」
声ガ止マラナ―――
「―――いじょうぶか!? おい、ひよちゃん!! しっかり!!」
気が付くと、先輩が心配そうな顔で自分を見ていた。
「…あ、はは…どうしたんです、か…そんな顔して」
「あ…良かった…いきなり唸りだしたから、どうしたのかと思ったよ…」
「…唸って、たんですか」
「うん…『うあああ』って…苦しそうだったから心配したよ」
「…風邪の、せいでしょうか」
「そうかもね…とにかく、凄く汗かいてるみたいだから、着替えた方がいいよ」
「…そう、したいんです、けど…力、入らなくて」
どうした事か、腕を上げようとしても、五センチと上がらない。
「だ、大丈夫なのか? ホントに」
「…平気、ですよ…ただ、ちょっと、一人で着替えるのは、無理なだけで」
「え…と、それは…どういう…?」
「…先輩、着替えさせて、くれませんか…」
「え、ええええええええ!?」
狼狽しまくる聡。何となく、それが嬉しかった。
「…看病してくれるって、言ったんですから…最後までちゃんと、看病してください」
「い、いいけど、ひよちゃんは…その、いいの?」
「…いやらしい眼で見ないって、約束してください」
「う…わ、分かった、約束するよ」
そう言うと、聡は目を瞑り胸に手を当てて深呼吸をして『邪念よ消えろ消えろ』と念仏のように唱えた。
「ふぅ…あ、それで、着替えはどこに?」
「…箪笥の、上から二番目が下着、一番下にパジャマが」
「っ…いかんいかんいかん…約束を守れ…俺」
ギクシャクとしながらも、聡は恐る恐る箪笥を引き出す。
「し、しし、下着って、どどれを?」
軽く声が裏返っている。
「…どれでもいいです」
傍目で見ていても箪笥相手に悪戦苦闘している様がよく伝わってくる。場違いな感想だが、なんだか、微笑ましい。
「…琴葉先輩の看病をしてる時に、着替えさせたり、しなかったんですか」
何となく、聞いてみたくなった。
「あるけどっ、姉さんを着替えさせんのと、ひよちゃんを着替えさすのは訳が違う!!」
怒っているのか緊張しているのか、どちらとも言えない微妙な反応だ。
「…そう、ですか」
少しだけ、嬉しく感じた。
「じゃ、じゃあ、脱がす…けど、上と、下、どっちから…?」
妃依は、はぁ、と、聡が来てからは久方ぶりに溜息を付いた。
「…どちらでも、お好きな方からどうぞ」
「えっと…じゃあ、下から…」
「…蹴りますよ」
「ごめんなさい…」