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彼岸の空
【家族 その他小説】

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彼岸の空-1




「木下さん、……ちょっと……」


昼食を終えてデスクに戻ると、窓際に立ってお茶をすすっていた課長が、すまなさそうな表情で私に手招きをした。



その顔を見ただけでどういう用件かはだいたい想像がつく。



「あのなぁ。この休日願なんだけど……」

課長は本当に申し訳なさそうに頭をかきながら、私が今朝提出したばかりの休日願届けを机の上に出した。



『やっぱり――』



「3月21日っつったら年度替わりの日だからなぁ。……もし変えられるんだったらでいいけど……別の日にしてもらえんかなぁ」


普段めったに自分から休みが欲しいと言わない私からの届け出だけに、言いにくいのだろうなと思う。


私が毎年この日に休日願を出して、毎年断られているのをこの人のいい課長は気付いているだろうか……。


――いや、多分気付いていないだろう。



限られた人員で最大限の成果を要求される今のうちの会社の現状では、とにかく目の前の問題を片っ端から処理していくのが精一杯で、その問題の本質を追求している余裕も時間もない。



そんな中でうちの課長はまだよく部下に気を配ってくれているほうだと思う。


他の課の課長だったら、こんな休日願はいきなり破り捨てられかねない。


それだけに、完全に確信犯の私はこの心優しい課長に対してひどく申し訳ない気分になった。


「あっ……そうですね!すみません。私うっかりしちゃって……」



私はあらかじめ準備していたセリフをよどみなく言った。



「じゃあ、他の日にふってもらっていいかな?」



課長の心底ホッとした表情を見ると私も安心する。



「……え、ええ大丈夫です。たいした用事じゃないんで。また別の日に改めて出します」



私は出来るだけこだわりのない表情を作って、必要以上に元気な足どりでデスクに戻った。



こんな細かい一挙一投足にまで気配りができるようになってしまった自分がなんとなく今日は哀しい。


使い慣れたパソコンを開いてエクセルをたちあげる。



10年もこのデスクに座っていれば、有給を使っていい日と悪い日の区別ぐらいはつくようになっている。



8年間―――毎年駄目もとで出している3月21日の休日願いは今回も通らなかった。



『またお父さんの命日には帰れそうにないな……。』



私はカレンダーを見てため息をつく。




その時不意にスーツのポケットが振動した。



課長の目を盗んでデスクの下で そっと携帯を開くと田舎の母親からだった。



「……もう」



私は思わず軽く舌打ちする。



『仕事中は携帯電話には出られない』と何百回(!)も言っているのに、母は、全く学習しようとしない。



いつでも思い立った時に気のむくまま電話をしてくる。



終業してからかけ直そう……。
私は一旦携帯を閉じる。



……とはいうものの、敢えて仕事中にかけてくるということは母の身に何かあったのかもしれない……などという不安が頭をもたげてくる。



父が亡くなってからずっと一人で暮らしている年老いた母のことは日頃からいつも気になっている。




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