非線型蒲公英-53
「…生きてる…のか?」
後悔した時には既に猛スピードで宙を舞っていた俺は、着地と同時に一瞬気を失っていた。
で、気が付くと、本当に自分の部屋にいた。まあ、窓ガラスが割れたり、サッシが千切れていたり、ベッドがひしゃげていたり、壁に穴が空いてたりと、部屋の中がかなり凄い事になっていたが、ともかく自分は生きていた。
「何で無傷なんだ…? 俺…」
よくよく見ると、手に持っていた弁当も無事らしい。あのヘクセンの光のおかげだろうか。
「まあ、とにかく。何とか間に合ったか…」
これで、姉さんのお怒りを受けずにすむ。はあ、と、安堵の溜息をつく。
「あ…でも、今日、ここで寝るのか? うわあ…それはそれで嫌だな…」
そこは姉さんに何とかしてもらおう。ろくな事にならない気がするが。
と、それからいくらもしない内に、姉さんは帰宅したのだった。
「部屋を直してほしい、ですって?」
ハンバーグ弁当を箸でつつきながら、姉さんは俺の言葉を繰り返した。
「うん、頼むよ…出来れば今日中に」
「まあ、出来ない事は無いけれど、それなりの対価を要求したいわね」
「やっぱりか…じゃあ、何をしたらいい?」
出来れば簡単な事にして欲しいと思ったが、姉さんにそういうことを期待しても無駄な事は解り切っていたので、覚悟はしていた。
「そうね…別に何でもいいわ。強いて言うなら、最近疲れが溜まっているからマッサージを頼みたいわね」
俺は、まず己の耳を疑い、そして驚愕を隠せなかった。
「な…!! それだけ!? 嘘!?」
「あら、不満? だったら、他の事でもいいわよ」
「いや、やらせてください!! ぜひ、やらせて頂きます!!」
「そう、じゃあ、部屋の修理が終わったらマッサージを頼むわ」
にこやかに微笑み、姉さんが言った。はっきり言って、なんか怖い。
「ど、どうしたんだ…姉さん…心の病気か…? いや、大いに結構なんだけど…」
「全く、貴方は邪推しすぎなのよ。少しは素直に現実を受け止めなさい」
「いや…でも、何かあったのは確かだろ…? 機嫌良過ぎだよ、姉さん」
「ええ、そうね。今日はとても気分がいいの。貴方を思いやれる位には、ね」
フフ、と微笑む。やっぱり裏がありそうだ、と俺の本能は事を邪推しまくってしまう。
「ヘクセン、ちょっと、私の鞄を取って頂戴」
姉さんは、テレビを見て『アハハハ!!』と馬鹿みたいに笑っていたヘクセンに声をかけた。
「ハ、ハイ!! 了解しましたァッ!! 琴葉様!!」
ビクッとしてすぐに行動に移る。姉さんの言う事にはやたら従順なのだった。まあ、俺も人の事は言えないのだが。
「どうぞ!! 御鞄です!! お納めください!! ははぁぁぁぁっ!!」
何か、用法を間違っている。
「ありがとう、下がっていいわ」
「では、失礼します!!」
ヘクセンがずさっ、と飛び退る。そこまで反応しなくてもいいだろうに。
それで、姉さんはごそごそと自分の鞄をあさり、何か妙なものを取り出した。
いや、別に妙なものではないのだが、それは普通、鞄からごそっと出たりはしない。
「姉さん…それは?」
「何? 知らない訳無いでしょう? 猫よ」
姉さんに鷲掴みにされた子猫は、みゃあ、と鳴いた。可愛いというか、可哀想というか…。
「いや、それは解ってるんだけど…姉さんが猫が好きだっていうのも知ってるし…そうじゃなくて、俺が言いたいのは、何で鞄に猫を詰め込んで家に連れ帰って来たのかということで…普通は箱とかに入ってるもんじゃないのか?」
「この子、捨て猫じゃなくて、燐の家の子猫だから箱は無いわよ」
そういう問題でも無いと思う…というか、姉さんは燐ちゃんの所に遊びに行ってたのか…。
「そう…まあ、いいや…で、姉さん、その猫、飼うの?」
「ええ、気に入ってしまったから、貰ってきたんだもの。引き取り手を探していたようだったし、丁度良かったわ」
姉さんは子猫に頬擦りをして、子供みたいに嬉しそうに微笑んだ。ひどく懐かしい笑顔に思える。