続・せみしぐれ〜color〜(後編)-5
「私、夫から逃げてるのかな?」
「旦那さんからじゃないよ。千波ちゃんが逃げとるんは、自分自身から。おばちゃんにはそう見えるなぁ」
(…自分自身から逃げてる…)
「あぁ!そういえば、明日、東京からうちの遠い親戚の子が来るんだわ。高校一年生なんだけどねぇ、この子も、なんだか現実から逃げたくなっちゃってるみたいだわ。うちのお客さんには、そういう人が多いんだよねぇ。…まぁ、長い人生には、時にリハビリも必要なんだろうね」
「高校生か…。どんな子だろう?楽しみだね」
「あらら、初めての人と会うことを楽しみにできるなんて、あんたも変わってきたねぇ。千波ちゃん、ここで、もう少しリハビリ頑張って、そのうちにあんたも、人生で本当に大切なものを見つけなさい」
そう言っておばちゃんは、自分より少し背の高い私の頭を撫でてくれた。
遠い昔、頭を撫でてくれる両親の手を待っていた、幼い自分。
…けれど。
いつまで待ってももらえなかったその温もりに、いつしか私は待つことを止め、そうして、色を亡くした世界で生きてきた。
(…見つけられるかな)
本当に、大切なもの。
まだ、今なら。
「なんだぁ、千波!結局、水撒きやっといてくれたんかぁ。悪かったなぁ」
母屋に入ったおばちゃんと入れ違いに、逃走中だったおじちゃんが戻ってくる。
「…おじちゃん。おじちゃんの大切なものって、なに?」
「ん?路子だな。いや、普段はおっかねぇけど、やっぱしあいつはいい女なんだよ、これが」
何の迷いもない、即答だった。
伸びたホースを巻き戻しながら、おじちゃんは照れくさそうに笑う。
「あぁ!でも、おいらは千波たちだって大切だぞ」
「…私も?」
「おう。お前は『ありがとう』と『ごめんなさい』がちゃんと言える、いい子だからな」
(――おじちゃん…)
鼻の奥が、ツンと痛い。
「ありがと、おじちゃん。私、今まで誰からも『いい子』だなんて言われたことなかった」
「んぁ?ありがとうはこっちのセリフだべ。お前は、水撒きまでやってくれるいい子ちゃんだよ」
「――プッ!『いい子ちゃん』って!おじちゃん、私23歳なんだよ」
ニヤリと、いたずらっ子のように笑うおじちゃんに爆笑しながら、私は泣いていた。
零れるこの涙が、笑いすぎて落ちるのか、嬉しくて落ちるのか――今はまだ、わからないことにしておく。