続・せみしぐれ〜color〜(後編)-4
「ちょっ、千波ちゃん!あんた、病み上がりの身で何で庭の水まきなんかしとるのさっ!?」
「あ、おばちゃん…って、あれ?さっき、おじちゃんに水撒きしてって言われたんだけど…」
「なっ!?…ちょっと、お父ちゃん!あんた、千波ちゃんに何をやらせてんのっ!?水撒きはあんたに頼んだんだわっ!!」
「いや、千波も寝てばっかしいるのは、返って良くねぇんじゃないかと…」
おぉ、おじちゃんが布団叩き持ったおばちゃんにはたかれてる。
あ、おじちゃん逃走…。
「千波、すまーん!あとはおいらがやっとくけ、そこまででいいからー!」
私に向かって両手を合わせた『ごめん』ポーズのまま、目の前を全速力で駆け抜けていくおじちゃん。
「――ププッ」
小さくなる後ろ姿に、思わず吹き出してしまう。
何度も帰ろうと思いつつ、それでも行動に移せなかったもう一つの理由は、この桜田夫妻がくれる温かさだった。
熱で動けない私の世話、回復の程度に合わせた食事の用意…文字通りただ『拾った』だけの私に、この人たちが惜しみなく注いでくれた優しさは計り知れない。
高い熱に苦しみながらふと目を開けた時、枕元にいてくれたおばちゃんの笑顔に、どれだけ心が安らいだことか。
『雨上がりに虹が出た』と、少し起きあがれるようになった私をおぶって外に連れ出してくれたおじちゃんの温もりが、どれだけ嬉しかったことか。
生まれてからこれまでの23年間、こんなにも温かな気持ちを、時間を、私は知らない。
「まったく、もう!どうしようもねぇな、あのオヤジは…。千波ちゃん、あとは放っておきな」
ブツブツと文句を言いながら、おじちゃんに逃げ切られたおばちゃんが戻ってくる。
「ううん。だいぶ調子いいから、水撒きしたい」
「そうか?手伝ってくれるのはありがたいけどなぁ」
――じゃあ、お駄賃…と、エプロン姿のおばちゃんがポケットから取り出したのは、畑から収穫してきたばかりの真っ赤なトマト。
川で洗ってあるよと言われ、私は即座にみずみずしい赤い実にかぶりついた。
「おいしーい!」
「そうか、よかったよ。…あんた、そんな風にも笑えるんだねぇ」
「え…」
(わら…う?)
――あぁ、そうか。
私、笑ってるんだね。
おばちゃんに言われて、初めて気がついた。
だって、今までの私の日常に、笑顔なんてなかったから。
…私、まだ笑えたんだね。
「…おばちゃん。私、おじちゃんとおばちゃんの子どもに生まれたかったな。まだ出会ってわずかだけど…なんだか、ここには私がすっぽり収まる空間が…居場所が、あるような気がするの」
水を撒き終えた庭から立ちのぼる土の匂いが、静かに辺りを包んだ。
ポタポタと、勢いをなくしたホースから落ちる水滴。
「…千波ちゃん」
穏やかに響くおばちゃんの声に、顔を上げる。
「おばちゃん達には、本当の子どもはおらんし、千波ちゃんみたいな娘がいてくれたら嬉しいよ。…でも、あんたには、向き合わなきゃいけない人たちがいる。それをしないうちは、逃げてることにしかならんよ」
「おばちゃん…」
真っ直ぐな視線。
おばちゃんの言葉に、嘘はなかった。