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凪いだ海に落とした魔法は
【その他 官能小説】

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凪いだ海に落とした魔法は 3話-71

僕は映画から頭を切り離して、日下部の声を思い出す。真夜中のラジオから聴こえてくるような、ひどく物憂げな声を。

――ありがとうだって?

日下部から二回もお礼を言われてしまった。彼女は今、相当に参っているのだろう、と推測できる。弱きになったときほど、人の厚意は身に染みるものだ。何があったのかは知らないが、日下部の精神状態を不安定にさせるだけのことが、彼女の身に起きたのだろう。
僕は耳を澄ませ、バイクの音が聞こえてくるのをじっと待っていた。





到着を知らせるメールを受け取り、僕が外に出ると、家から十メートルほど離れた場所にある電柱の下で、日下部はバイクを停めて立ち尽くしていた。
凛然とした佇まいでその個性を主張しながらも、何処か翳りのある存在感。まるでかくれんぼをしている小さな子供みたいに、奥の方に身を潜めながらも、いつかは誰かの目につくことを求めているようだった。
少女と呼ぶには完成され過ぎた肉体に、傷を追って震える猫のような弱々しさが居座っている。気高さと臆病さという両義性は、それを見詰める僕を、何だか不安にさせた。決壊寸前の巨大なダムを見ているようだった。

「日下部」

僕は彼女の名前を呼んで、俯いていた顔を上げさせる。

「――ああ、シノだ」

日下部は僕の姿を認め、探し物を発見して安心したときのような声を出す。日下部らしくないな、と僕は思った。余程のダメージを抱えているらしい。どうしてだろう。僕は眼の奥が少しだけ熱くなった。

「来なよ。取り敢えず中に入ろう」

彼女は頷き、僕の後に続く。玄関で靴を脱いだときに、日下部の靴は部屋まで持ってきてもらうように言った。放任主義の両親ではあるが、こんな時間に女子を部屋に連れ込んでいるなんて知られると、少し面倒なことになるかもしれない。まだ明かりの付いている居間の前を、足音に気を付けながら通過する。タイミング悪くドアが開けられたりしないか心配したけれど、差し当たって親が出てくる気配はない。二階に上がって、何事もなく部屋の前まで来れた。「どうぞ」と部屋に彼女を招き入れる。こくりと頷き、ドアを押さえた僕の目の前を通って、日下部が部屋に入った。
日下部は何も言わず、ベッドに膝を付いて、僕に背を向ける。そしてその膝を抱えるようにして座り込んだ。かけるべき言葉を探したけれど、何も出てこない。
テレビはスポーツニュースを報道していた。僕が贔屓にしている連敗続きのサッカークラブを特集している。僕と同い年であるユース上がりの若手選手を取材しているらしい。先日の試合は敗北を喫したものの、途中出場からクラブ最年少ゴールを決めて注目を浴びている選手だ。

「凄いなあ」と僕は言った。日下部は胎児のように体を丸めたままで、無反応。
「彼。僕らと同い年だよ。次の国際戦では飛び級でA代表にも呼ばれるかもしれないってさ」
反応は、やはり返ってこない。
「まあ、関係無いか」

僕は黙ってテレビを観ることにする。画面は先程の選手のゴールシーンを映し出していた。トップ下からのスルーパスに反応して、裏へ抜け出す選手。シュートコースを消そうと飛び出してきたゴールキーパーの頭上を、嘲笑うかのようにふわりと浮かせたルールプシュートが飛び越えて、ネットを揺らした。沸き上がる歓声。笑顔でアシストした選手とハイタッチする、若きサイドアタッカー。


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