凪いだ海に落とした魔法は 3話-66
「知るか。都市伝説だぞ。そんなことまで考えて創らねえよ」
「子供をピアスから遠ざけるために創られた話だからね。その手の話の背景に大人の企みがあるなんてのは良くあることだ」と僕は言った。
「ピアスなんて古代文明の人間だってやってたのにね。動物の骨を削ったやつでさ。アフリカの何とか族だってやってるし。文明ある所にピアスありよ。日本みたいな先進国で不良のトレードマークとして扱うなんて、ナンセンスにもほどがあるわ。そもそも卒業したらすぐにでもやっていいことを在学中だけは禁止にするなんて、一体何の意味があるってのよ。十代の内にピアスホールを開けた青少年が将来的に犯罪者になるっていう統計でもあるのかしら」
息を吸う暇さえ惜しむような話振りで、白川が熱弁した。ピアスに並々ならぬ執着心でもあるのだろうか。沢崎が口を半開きにして、呆気に取られたような表情を浮かべている。
やがて白川は周囲との温度差に気が付き、「ごほんっ」と喉を鳴らして型通りの照れ隠しをした。耳がほんのりと赤いのは、ピアスの傷穴が熱を持っているわけではないだろう。
「女のファッションに対する拘りってのは、男の理解の及ばないところにあるよな」と沢崎が言った。
「そうよ。お洒落は女の子の戦闘装備なんだから」
胸を張って白川が言い、「ね?」と日下部に賛同意見を求めるが、「私は別に興味ない」とすげない言葉を返されてしまう。着飾るだけの戦闘服など、日下部沙耶には必要ないのだ。
「もうっ!」
むずかる子供のように頬を膨らませる白川慧と、停止した機械のように無表情な顔でギャグ漫画を黙読する日下部沙耶。
二人を足してニで割ったら、丁度いい感じの人間が出来上がるのだろう。しかし、それでは“ありきたりな女の子”を再生産したに過ぎなかった。日下部沙耶は“ありきたりな女の子”ではなかったし、彼女に楽しさを教える役目も“ありきたりな女の子”では困難に過ぎるだろう。
「日下部、それ面白い?」と僕は尋ねてみる。
「特にこれと言った感想はない漫画だね」と彼女は言った。
「あ、そう」
まあいいか、と僕は思った。漫画を読むことより楽しいことなど、高校生にはいくらでもあるのだ。十代の夏など得てしてそういうものだし、そうあるべきだった。
「しかし、暑いなあ」
沢崎が苦しげに呟いて、窓を全開にした。
「もう本格的に夏だもんね」
白川が窓から見える四角い空を眺めながら微笑んだ。
日下部もそれに連られるように顔を上げ、気が遠くなるほど青い空をその瞳に収める。
「シノ。夏だってさ、夏」
冬の風みたいな小声で、彼女は呟き、猫みたいな目でこちらを見る。
「だから何だよ」と僕は笑った。