凪いだ海に落とした魔法は 3話-59
「恋を否定することは、人間としての生殖本能を放棄する、ということなのかもしれない。それは生物として欠陥があることを意味している。繁殖を目的としない一代限りの生命に生きる意味があるのか、と聞かれたら、私にも分からない。でも、私たちは人間じゃない。人間はそのためだけに生きているの? 子孫を残せない、あるいは残さない人には、何のために生きているの?」
滔々とした口振りに、沢崎までが何かを考えるように押し黙った。底のない井戸に小石を投げたような沈黙のあと、白川が口を開いた。
「難しいことはよく分からないけれど」
彼女はそう言って、日下部に挑むような目線を送る。
「恋を“生殖本能”と言い切る沙耶には――きっと本当の恋を知ることはできないと思うわ」
白川は目を反らさなかった。止まったような時の中、視線だけが二人の距離を手繰り寄せていくようだった。
本当の恋? 例の綺麗なものだけが真実だという幻想か。恋に本物も偽物もないだろう、と僕は思ったが、日下部は反論しなかった。
「――そうね」
乾いた声を寄越す日下部。自嘲するでもなく、投げやりになるわけでもなく、ただ最適な答えを簡潔に音声化しただけの素っ気なさが耳を打つ。
「確かに。私には、理解しようのないことなのかもしれない」
恐らくだが、彼女は微笑もうとしていた。あまりにも奥行きのない未完成な表情だったので、それが笑顔の前段階であるという確信は持てなかった。
その瞳は自分の中の劣等感を見つめているかのように、何処か虚ろで、哀しそうだった。
“楽しい”という感情を知らない少女は、果たして恋ができるのだろうか――。
「ああ、いえ、ちょっと言い過ぎたかもしれないわ。ほら、この手の話になるとムキになっちゃうタイプだから私。沙耶、お願いだから悪く思わないでね」
白川は幾度か目を瞬かせたあと、凍り付いた雰囲気を溶かすような笑みを浮かべる。「ごめんなさいね」という言葉と同義の表情。
「別に平気よ。気にしてないから」
日下部は今度こそ笑って見せたが、その笑顔は哀愁にアクセントを付けただけだった。哀しい顔の上に偽りの微笑を張り付けたような、不器用で不安定な代物。まるで空気で膨らませた地球の栓の在処を見つけてしまった少女のように、目の前に怯えている感じがした。否。怯えているのは、もしかしたら自分自身にだろうか。
「さて、もう1ゲームするか? 今度こそ罰ゲームありで」
場の空気を変えようと思ったのだろう。沢崎が食後のアルパカみたいに暢気な声で言った。まあ、アルパカの声なんて聴いたことはないのだけれど。
「それより小腹が空いた。近くのスーパーでカップ麺でも買おう」と僕も努めて明るい口調でそう言った。
「カップ麺?」
白川が不思議そうに目を丸くする。
「安価で腹が膨れる食い物の定番だろ。知らないのか」
「そりゃあ知ってるけど――カップ麺?」
女子がいるのに信じられない。とかウザいことを言い出し始める白川。