凪いだ海に落とした魔法は 3話-58
「お前、そういう詮索ホント好きな」沢崎が呆れたように言う。
「何よ。人生から恋愛を抜いたら何が残るっていうの?」
「それはお前の基準だろ。大体、人の色恋沙汰はお前の人生じゃないだろ。勝手に抜いてくれよ」
「他人の恋だってラブストーリーに変わりはないわ。それを否定したら世の中にある物語のほとんどが価値を失うと思わない?」
「ハッ。あの頭の悪そうな映画やらは、お前みたいな連中のためにあるわけね」
「あ〜、そういう言い方するんだあ。ねえ、志野くんはどう思う?」
「僕もあまり興味ないかな。そういう話もしないし」
「え〜〜。じゃあ沙耶は?」
「知らない」
日下部は愚にも付かない話を聞いたようにそっぽを見た。氷が水の中で割れるような冷涼な態度。
「ほら見ろ。少なくともこの場所じゃお前がマイノリティだ」
沢崎が笑い、白川が頬を膨らませる。
恋愛至上主義、という価値観が世間に広まっていることは知っている。
愛こそがすべてだと告げる歌があり、詩があり、物語がある。たまに音楽番組なんかを観ていると、愛という名の神を崇めるミュージシャンが、布教活動みたいにラブソングを歌う姿を良く目にする。でも、その歌の中身は愛という言葉の本来の意味からは逸脱しているように、僕には感じられるのだ。
人は、綺麗な感情だけしか、愛とは認めない。
愛する人がいれば、守ったり、慈しんだり、育んだりすることだけが、愛情の表現方法だと信じている。
相手のために自分を捧げ、時には命を投げ出すことが愛という概念の美徳なのだと、そう思い込もうとしている。
結局のところ、愛情だって煩悩のひとつではないのだろうか。
心の平穏を保つため、誰か自分にとって都合のいい存在が欲しいのだ。その状況を求めたときに、たまたま相手も自分にそれを求めていて、相互の利益関係が成立する。それだけのことではないか。
汚い側面の見えづらい欲望だから、それがこの世で唯一無二の美しいものだと、何よりも大切なものだと、信じさせることができる。
愛するあまり、壊してしまいたくなる衝動も、また愛を守るために他の何かを壊してしまう本能も、世の中は屈折した感情だと定義する。
「綺麗なものしか愛ではない」と、そういう宗教なのだろう。
人間というものは、そういうことをする生き物だ。
自分自身が綺麗ではないから、せめて綺麗に見えるカテゴリーを作って置いて、みんなでそこに入ろうとする。
あぶれた奴を汚いものを見るような目で見て、自分はここにいるから安心だと、綺麗な存在だと、錯覚することに必死なのだ。
「恋が人生で最も大切なことなら」と、日下部は胸の中から繊細なガラス細工の想いを取り出すように、控え目な声で言った。やけに神妙な表情をしている。
「恋をしたことのない人は、何のために生きているの?」
投げかけられた根元的な疑問に、白川が一瞬だけたじろいだ。目を伏せ、考える素振り。
「いつか、恋をするためじゃないのかなあ」
「いつまで経っても恋ができなかったとしたら、その人の人生に価値はないの?」
「や、そこまでは、言ってないけど――」
「恋をしたとして、その相手と結ばれることができなかったら、人生に価値はない?」
無垢なる子供が素朴な疑問を両親に尋ねるように、刺々しさの欠片もない雰囲気で日下部は問いかけていた。むしろ優しい声だとさえ言ってもいい。それでも、その危うい純粋さに白川は気圧されていた。反論なのか弁解なのか、不明瞭な白川の呟きは意味を成さずに消えて行く。