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凪いだ海に落とした魔法は
【その他 官能小説】

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凪いだ海に落とした魔法は 3話-4

僕は椅子に寄りかかったまま、教室から出ていくクラスメイトたちを見送っていた。仲の良さそうな女子のトリオが、楽しそうに道草の予定を話しながら帰っていった。ふうん。そうか。隣町のショッピングモールには美味しいタルト・タタンが食べられる店があるのか。まあ、どうでもいいけれど。というか、タルト・タタンって何のことだろう。

僕は頬杖を付いて、窓の外を眺めた。グラマラスな雲が夏の青空にどっかりと腰を据えていた。遠くからはセミの鳴き声が聞こえてくる。微かに吹き込む風は音もなく僕の頭を撫でていく。

やがて最後の一人が教室を出て行き、テレビの音量をギュッと絞ったように、ぎくしゃくとした静けさが教室を満たした。限りなく透明に近い静寂が耳に優しくて、とても心地良い。夏の暑さが体に染み込む感覚に身を委ねていると、瞼の奥から睡魔がゆっくりと沸き上がってきた。

ゆらゆらと僕を惑わす眠気の中で、菊地はいい奴だな、と僕は彼のことを思い出した。僕を恨んでくれてもいいのに、彼はそうしなかった。多少、思慮に欠ける点は否めないが、人間的な欠陥、というほどでもない。付き合い方を選ばずに済む類いの人間だった。あの性格なら、彼の交遊関係の広さも頷けるというものだ。我ながらいい人選をしたと思う。それでも――。

「沢崎の野郎」と僕は呟いた。

吐き出された言葉の粗暴さとは違い、そこにもう憤りの色はなかった。
僕は確かに沢崎に騙され、翻弄されたのだろう。だが、裏切られたという意識はなかった。理不尽な神の裁きを甘受する敬虔な信者の如き寛容さで、僕は事態を受け止めていた。

恐らく、沢崎拓也という人間を知ってしまったからだろう。
名詞としての沢崎拓也ではなく、個体としての沢崎拓也を。
それはつまり、犬の甘咬みと同じことなのだ、と思うことにした。悪意というより、悪ふざけなのだと。

まあ――それはもうどうでもいい。タルト・タタンと同じくらいには、もうどうでもいい。
過ぎたことだし、自分の中でもう整理はついている。
問題は、と僕は思った。
問題は、日下部沙耶だと。
たった四文字で猫をじゃらすように僕を惑わす、アンドロイドめいた少女。シャム猫みたいに気高く無愛想。その在り様はチーターのように孤高で――ああ、やっぱり彼女の前世はネコ科の動物に違いない――。

基本的に他人に干渉することのない彼女だが、今回の件に関してまで無関心を貫き通すとは思えなかった。
英語のテストが始まる前、ぶつかってしまった冷たい眼差しを思い出す。焼き立てのジャガイモだって冷凍できそうな視線だった。
日下部沙耶は、沢崎拓也を恐れないだろう。甘咬みしてきた犬におののくチーターなんているわけがない。

彼女は、返金を要求してくるのだろうか。
まあ、それも仕方がないか、と僕は思う。相手が相手なのだ。欲を出すにはリスクの高過ぎるキャラクターだ。返金して彼女を敵に回さずに済むのなら、それに越したことはない。
ここで待っていれば、やがて彼女はやってくるだろう。別に第六感めいたものを感じていたわけではなく、単純に目の前の日下部の席には、まだ鞄が残っているというだけのことだった。


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