凪いだ海に落とした魔法は 3話-38
『ブラフ〜? う〜ん。そういうのとはちょっと違うと思うなあ。多分、あの娘、マジでちょっとおかしいんだと思う』
不意に酔いが覚めたような口調で彼女は言った。本来ならば理知的な声をしているのだな、と沢崎は改めて思った。
「どうしてそう思う?」
『ほら、あの娘、春先に停学になったらしいじゃん』
「さあ。俺は知らない」
『本当? ゴシップに興味がないのかな、君は』
「俺のことはいいから。停学がどうしたって?」
何故女の話はすぐに脱線するのだろうか。ライターをカチャカチャといじりながら沢崎は先を促す。
『金野って先生知ってるよね。地理の』
「地理は俺の選択科目じゃないからな。で、その金野が?」
『うん。刺されたんだよね。日下部沙耶に』
「は?」
電話から漏れる声は耳を経由して脳を貫き、あらぬ方向へ飛んでいった。言葉の意味を理解した途端、衝撃で脳が誤作動でも起こしたのか、沢崎は「はあ?」とまた間抜けな声を出してしまう。
――教師を刺した? 日下部沙耶が?
沢崎は、彼にしては珍しく呆気に取られていた。
『はははっ。びっくりしてるね〜。その顔が見てみたい。今すぐ見たいよ。ねえ写メ送ってよ』
「からかうな。それより、マジかよその話。停学っていうか、退学っていうか、警察沙汰だろ」
『うん。でもまあ、金野さんも悪いところあったらしいしね〜。そもそも、ナイフでお腹刺しちゃったとか、そういう傷害致死的コースなあれじゃないからね』
「要領を得ないな。ちゃんと説明しろよ」
『うん。あのさ。元々あの先生、ちょっと問題ありだったみたいなの。なんか、女子生徒に対するセクハラまがいの言動とか、体罰とかね。スカートの丈を無理矢理直そうとしてお尻触ったとか、ちょっと反論しただけで胸ぐら付かんで恫喝されたとか。それも女子とか、気弱そうな男の子ばっかり。こういうご時世だし、そういうのやっぱ不味いじゃない。注意はされてたみたいなんだけどね。それも何処吹く風でさ』
「へえ」
絵に描いたような駄目教師。教育者ではなく、支配者として君臨しようとする大人。何となく顔立ちを想像してみると、ああ、確かにそんな感じの教師がいたかもしれないな、と沢崎は納得した。
『まあ。君みたいな生徒には何も言わないタイプの先生だよね。それで、事件は地理の授業中なんだけどね。いつものように日下部沙耶が寝てたわけ。普通は怒るよね』
「教師としては当然だな」
『うん。他の先生にも聞いたんだけど、彼女、きっちり口で叱れば渋々と起きてくれるらしいの。一応、良くないことしてる自覚くらいはあるみたい。でも、弱い者には強く当たるという習性持ちの金野先生は違ったみたいで』
「ここぞとばかりに?」
『そうそう。入学間もない生意気な生徒に、教師の威厳を見せ付けてやろうと張り切っちゃったわけだ。つかつかと彼女の席に歩み寄って、まあ、威嚇めいた言葉を叩き付けたわけ』
そのイメージは容易に映像化できた。神経質そうな目でジロリと日下部を睨む教師。張り詰めた緊張感に静まり返る教室。