凪いだ海に落とした魔法は 3話-3
「え、いや、ああ、まあね。話の流れ的にさ、その、うん、ついうっかり――」
喉の奥から小出しにするような喋り方で、電波の悪いラジオ放送みたいだった。何かを含むように彼は笑い、言葉に変換しなくてもその意図が伝わるものだと信じている様子だった。残念ながら僕の脳内コンバータには未対応の笑い方だった。
「話の流れ?」と僕は言った。
「そう。話の流れ。あるだろ? そういうの。言わなくてもいいことまで思わず言っちゃって、それが許される空気。お互いここだけの話しようねって、そういう曖昧でぬるい雰囲気」
「まあ、あるにはある」
「だろ?」
「それで、どうしてそういう流れになった」
「え?」
「流れのきっかけ。まさかテストの話題が出るたびに僕のことを思い出してくれてるとか? そんなに成績はよくないけれど」
「あ〜、それはさ、俺の口から語るべきことではないかと」
「つまり?」
「本人に訊けってこと」
もうこの話題は終了だと言わんばかりに菊地はかぶりを振った。散々伸ばしたゴムを鋏でパチンと切断するように、あっさりと。珍しく強固な態度。後には出口をなくした僕の疑問だけが宙に浮かんでいた。
「まあいいや。言ってしまったものはしょうがない」と僕は嘆息まじりに言った。
「そうそう。仕方がない」
「とにかく、他の連中のフォローは頼んだよ」
「また俺が損な役目か」
「やらなくてもいいけど、僕は別に困らない。困るのはお前」
「俺がお前のことも話したら? 慧ちゃんの時と違って、包み隠さず全部」
「証拠がない。メールは捨てアド。問題用紙のコピーも昨日の夜に処分した。今あるのはテストで使った本物。何十人かの漱石たちは何人かの諭吉に代わって家で留守番してる」
「それに」と僕は付け足した。
「同じことだよ。仮に彼らの怒りを僕から逸らすことに失敗したとしても、裏に沢崎がいるってことに変わりはないんだから。結局は何もできないよ。彼自体が抑止力だから。仮に自分たちのしたことを棚に上げて教師に泣き寝入りしたところで、お咎め無しで済むはずもないし、沢崎まで敵に回すことになる。それで誰が幸せになる」
自信満々、大胆不敵。見下ろすような目で笑いながら、それでも邪気のない声で「正解だ」と言う彼の声を聞いた気がした。
「悪いとは思ってる。お前には貧乏クジばかり引かせてる」
僕は菊地の肩をポンと叩いて言った。
「もういいよ」
「そう?」
「ああ、もう帰ろう。これから連中にメールを送って沢崎の悪評を広める仕事をしなきゃな。それで、俺はなんにも悪くありませんってアピールもしないと」
「そうだ。お前は沢崎拓也に騙された哀れな被害者。いいよそのスタンス」
「奴の伝説がまた増えたな」
軽口を叩きながら教室に戻り、僕らは別れた。
沢崎に対する怒りは、気が付けば随分と収まっていた。
哀れな被害者?
完璧に騙されはしたが、気持ち良く踊らされたのは確かだ。
僕が今回の件で損をしたのは、英語のテストの点数だけ。
金を儲け、世界史と倫理ではほぼ満点を叩きだすことになるだろう。
それでも沢崎に一杯食わされたのは事実で、加害者でもあり被害者でもあるという、宙ぶらりんな立ち位置に僕はいた。
どっち付かず、中途半端で、何ともまあ志野俊輔らしいじゃないかと、僕は苦笑するのであった。