マルゲリータは眠らない-4
――カシャン
「マルゲリータです」
「ん……」
喫茶『Sigh of Relife』。
時刻は夜の十一時前。
ぼくは並べられたカクテルの、その右側のマルゲリータを手に取り、口に運ぶ。
「……ん、ぅ」
相変わらず美味い。
他の店ではこうはいかない。
それは、きっと飲み慣れているから。
――もしくは、妻と飲んでいるから。
「靜くん……」
ぼくは、マルゲリータを三分の一ほどまでに減らしたところで口を開けた。
「はい?」
先ほど、出て行ったカップルが呑んでいたフルートグラスとゴブレットをタオルで拭く青年が、顔を上げ、爽やかな笑顔を向けてきた。
ぼくも、唇を歪める。
「――交通事故に遭い、奇跡的に一命を取り留めるも六年間、植物状態の妻。入院費用は年でウン百万。家に帰れば、子供たちも出て行ったため、ひとり。広い広い一軒家でひとり淋しく寝起きする中年……それは不幸かな?」
「お答えしかねます。ただ――」
「ただ?」
「奥様が幸せなのは確かでしょう」
「それは、夫の献身的な愛を受けているから?」
「いえ……」
靜くんが、首をゆっくりと左右に振った。
「ひとりの男性に、伴侶として信じてもらえているからです」
「信じる?」
「はい、信じる。覚醒、奇跡を信じて、諦めずに祈ってくれる――」
靜くんが、妻の分のマルゲリータを指差した。
「知って、いたのか……」
ぼくは茫然と返した。
靜くんが頷く。
「ええ。日本人はユニークですよね。結ばれなかった神様に恋愛成就を祈り、侵略されてしまった神様に国土安泰を祈る。そして……」
「亡き恋人を偲んで創られたカクテルに、妻の恢復を祈る」
「はい。マルゲリータは1949年にロサンゼルスのバーテンダー、ジャン・ジュレッサー氏が、狩猟中に亡くなった恋人を偲んで創られたといわれています。考案者は別だという説もありますが――」
どちらにしろ本質は変わりませんよね――靜くんが微笑んだ。
そうだ。
そうなのである。
ぼくは学生時代、寺社巡りが趣味だった。
その同好の士として、妻に巡り逢ったのだ。
だから、ぼくはマルゲリータを呑む。
――妻と一緒に、彼女の目覚めを信じて。
「…………」
ぼくは、マルゲリータを空けた。
そして祈る。
妻の、恢復を。
そう――
マルゲリータは眠らないのだ。