白き人-2
その人は、軽く私の目の前に手をかざす。バキバキと音を立てて、白い爪が伸び始めた。
「『霊界法』。魔王と女神が定める、死後の世界の法律だよ。死ぬ前に何があろうと、何をしようと、よほどのことでない限り、『霊界法』は関与しない。つまりキミがいじめの被害者だったことは無視される。」
由宇は驚いて口を開く。が、その人が話し続けるので、仕方なく口を閉ざす。
「『霊界法』第1条、最重要項にはこう書いてあるよ。『未成年者の自殺を禁ずる』って。」
由宇はまた急いで口を開いた。しかし、すでに30cmを超えた爪を突きつけられ、またも黙らせられる。
「まぁ、子どもが自殺する理由って、いろいろあるよね。いじめとか、勉強とか、家庭とか、いろいろ。でも、そういうことって、死ぬのに値する?親に扶養されてる身で、勝手に死ぬのに値することなの?」
「ふざけないでよ!!アタシがいじめられて、どんなに辛かったか知ってるの!?」
その人は、また侮蔑もあらわな目で由宇を見る。
「そんなの、まだ楽だと思うよ。僕が今まで会った中には、下半身を切り落とされて、病院で首切って死んだ子だっているんだから。あの子は、さすがに自殺だからって裁けなくて、霊界に行ったけど。」
由宇は困惑の目でその人を見る。それは確か、50年以上前の話だ。何故この人が『会った』というのだろう。
「いい?君の通常の行き先はね、魔王様のところなの。魔王様に尋問されて、弱点を探られる。そして、キミが一番辛い刑罰にかけられる。君の場合は、誰にも話しかけられない孤独かな?」
そしてその人は、急に笑みを浮かべた。目が、気味の悪い赤に染まる。由宇をつかむ手と同じ色に。
「でもキミは、呪いを望んだ。それは、地獄に入るにも値しないほどの重罪。そんな馬鹿は・・・・・・」
軽く舌なめずりして、その人はつぶやく。
「僕に生き血を吸われるんだよ。生きたまま、痛みとともに血を吸われて、ミイラになる。」
由宇は一気に青ざめた。じゃあこの伸びた爪は、由宇の首を切り裂くための。
由宇は涙が頬を伝うのを感じた。イヤ。 イヤ。・・・・でも、誰も助けてはくれない。
孤独。孤独の中で、殺される。爪が、首に伸びる。鋭く、首筋に食い込む。
こんなことに、なるなんて。ただ、仕返ししてやりたかっただけなのに。ただ、力が欲しかっただけなのに。
ぷつり、と小さく、爪が皮膚を破る。もう、誰にも助けられない。誰にも会えない。イヤ。絶対イヤ。
「イヤ・・・・助けて・・・・お母さん・・・・・お父さん・・・・・!!」
「・・・・・わかった?」
爪が、首から離れた。小さな血の玉が首に浮かんだが、それだけだ。切り裂かれていない。
「絶対なる孤独。誰も助けてくれない。誰も自分を振り向いてくれない。その辛さ。」
すっと、赤い手が腕を離す。闇の中に、遠ざかる。つかまれた腕は、不思議なことに乾いている。
「キミには、親もいるし、信頼してくれる先生もいる。友達だって、いくらでも作り直せる。そんな状況で命を投げた、これは報いだよ。」
由宇は軽くうなずく。忘れていた、たくさんの希望。知らなかった、本当の孤独。
孤独の寂しさ、怖さを、一気に叩き込まれた気がした。自分の孤独など、物の数ではないことを知った。
「さて、どうやらキミは自分の罪を理解したみたいだし、死んだ意味がなかったことにも気づいたみたいだし・・・・・」
そういって、その人は再び爪の短くなった手を、由宇の額に当てた。白い光が手からあふれ、由宇を包み込む。
「地獄の門番の権限をもって命ずる。そなたは、この先一歩も、この世界に踏み込むことまかりならぬ。」
由宇の全身が、光の中で真白く光る。そのまぶしさに、目を硬く閉じると、耳に快いハスキーヴォイスが響く。
「・・・・・早々に、この世界から立ち去り、もとの世界へ帰られよ・・・・・」
そして由宇は、意識を失った。
気がついたときには、屋上に由宇は立ち尽くしていた。腕時計を見ると、飛び降りる前の時間と同じだった。
あの白い人に、名前も聞いていなかった。・・・・・もう二度と、会わないようにしよう。真白き地獄の門番に。由宇はフェンスに背を向け、屋上の出口に向かって歩いた。孤独のもとへ。それでも軽い、孤独のもとへ。
「『来るもの拒まず、去るもの追わず、裁きに温情は無用』『門番の役目はただ人を通し、生き血を吸うのみ』。鉄の掟のはずなのにねぇ・・・・」
暗闇の中、彼は微笑し、ため息をつく。掟破りの、真白く美しい地獄の門番。
彼の名は、ヘルディ。温情ある悪魔。彼に会いたくないのなら・・・・・・『霊界法』を破らぬことだ。