その一 海辺の猫-5
「立てるか?」
「無理……」
「まじかよ。ぎっくり腰とかじゃないのか?」
「腰は痛くないんだ。ただ力が入らないんだよ……っちぃ……」
「はいお待たせ……」
俺達がそんなことを話ていると、おばさんが刺身定食の刺身の部分だけ持ってきて、俊介に箸を渡す。
「え? え?」
一体何事かわからない俺だけど、いつの間にか……、
「にゃ〜ご……」
俺も俊介も驚いて、俺だけ飛びのいた。
さっきの猫が現れて、俊介の顔をじろりと見つめる。
「さ、今度は魚の刺身をおあげなさい」
「は、はい……」
俊介は刺身をつまむと、トレイに全て投げる。猫は嬉しそうにぺちゃぺちゃとそれを食べると、満足したように厨房のほうへと消えた。
「まじか……まじで猫叉?」
なんというか、信じられない。だが、
「お? おぉ……」
俊介は何事もなかったかのように立ち上がるのを見ると、やっぱりそうなのかもしれない。
**――**
俊介が追加の刺身代を払った後、俺らは逃げるように車に乗り込んだ。唯一事情を知らない信也は不思議そうに俺らを見ていたけど、説明する暇も惜しい。一刻も早くあの店から離れたかった。
もう海どころじゃねえ。さっさと家に帰って忘れちまいたい!
俺は信也と運転を代わり、前の車を煽りながら、車を走らせた……。
**――**
お釣りをもらい忘れたのに気付いたのは、それから数日後、猫の鳴き声を聞いてからのことだったわけで……。
完