その一 海辺の猫-4
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腹も膨れたところでお茶をもらう。新鮮な刺身の濃厚な味は名残惜しいが、しっかりお茶で流し込む。
不思議なことに信也はさっぱりした味で淡白な赤身だといい、俊介はねっとりとしたコク深い味だといっていた。多分こいつらは味覚がおかしんだろう。
「会計一緒で」
万札を崩したかった俺は二人から金を預り、会計を一緒にした。俊介は便所に行って、信也は先に車に乗っててもらった。
「はい、三千百五十円です。どうもありがとうございます」
「……あ、あの猫、名前なんていうんです?」
なんとなく、会計ついでに聞いてみた。またこの店にこれるかどうかわからないし、一応な。
「猫? ああ、あれですか。さぁ……」
「野良猫なんですか?」
まさか野良猫だとしたら衛生管理が酷いな。食った後で考えるのもあれだけど。
「いえ、そういうわけじゃないんですよね。私が生まれる前から居るみたいですし……」
「へぇ、この店が建てられる前から?」
聞き間違いかと思って聞いてみる。もっとも、だとしてもおかしな話だけど。
「いえ、私が生まれる前からですよ」
けど、おばさんはそんなことを言う。
「やめてくださいよ。そんな猫又じゃあるまいし……」
「猫又……。ああ、そうかもしれませんね」
「え?」
「いえね、こっちのほうだと皆知ってるんですけどね、ここら辺、魚関係の料理出す店がほとんどないでしょ?」
「ええ……」
「魚料理出すとああやって来るんですよ。どこからともなく、そっとね……。で、お客さんにねだるんですよね。まぁ、大概一切れ上げれば居なくなるんですけど、やっぱりそういうお店って嫌がられるから、どこもメニューに入れてないんですよ。ウチは逆に入れてますけどね……」
「はぁ……」
ほほっと笑うおばさんが怖かった。この人が嘘を言ってるのか、それともただのおかしな人なのか、それがわからないぐらい引きつった、強張った顔で笑うんだもの。
「でも、気をつけないといけないのが一つありまして、猫ってほら、イカが食べられないでしょ? 食べると腰抜かすっていう……」
「はい……」
正直この話をこれ以上聞いてたくなかった。もう会計も終ったんだし、お釣りもらって出ればいいだけなのに……。
「もし猫ちゃんにイカの刺身を上げると、怒って仕返しするんです」
「なら……」
「ぎゃー!」
なら出さなきゃいいのに。そう思ったとき、便所のほうから悲鳴が上がった。
俊介の声だ。俺とおばさんは便所に走ってドアを叩く。ご丁寧に鍵が掛かっていて開かない。
「おい、どうした俊介、おい!」
ドアを叩く俺。中からはかすれた「ぎぃぎぃ」と悲鳴が聞こえてくるだけだ。
「ドアを……」
おばさんが鍵を渡してくれたので、俺は急いであける。
するとそこには下半身丸出しで、ションベンでズボンを汚した俊介が仰向けに倒れていた。
膝を折っての複雑な姿勢。もしかしたら腰を抜かしたのだろうか? だとしたら出来すぎだろう。
「いてえよ、いてえよ……」
「おい、俊介、お前、猫にイカの刺身……」
「あ? イカ? あぁ……猫がねだるから……」
「やっぱり……」
確信を持っていいのかわからないが、おばさんの話が本当ならきっとそうなんだろう。振り向くとおばさんはふうとため息をつきながら、厨房へと戻っていった。
「刺身追加……」
一体こんなときになにを言ってるんだ? 俺はなんとか俊介を便所から引きずりだし、近くに壁に持たれかけさせる。
「いったいどうしたんだ?」
「ひぃひぃ……。わかんね。なんかしょんべんしてたら急に腰から下、力が抜けてそんで……そのまま頭打って……」
どうやら痛いのは頭らしく、みるとコブが出来ていた。