ポートセルミ編 その一 アルマ-10
**――**
豪華な馬車の弐台に寝転がり、空を見上げるリョカ。
フレッドの手配した二等寝室を断ったのは、なにも二人部屋だからではない。かつての淡い恋と、最近失った気持ちが故。
リョカは意外とセンチメンタルな自分に驚きつつ、毛布に包まる。
「もう、せっかく宿を手配してあげたのに、どうしてこんなところにいるのよ」
月を遮り、顔を出したのはアルマ。リョカは寝転がったままでは失礼と起き上がり、彼女の席を作る。
「ええ、この宿はちょっと辛い思い出があって……」
「ああ、お父さんのこと?」
リョカを気遣うように声のトーンを下げるアルマ。ゆったりとしたネグリジェ姿で、彼に手を引かれて荷台に上る。
「そうじゃないけど……」
「じゃあ失恋とか?」
「え? なんで……」
「嘘、ホント?」
図星を突かれたリョカと、冗談のつもりだったアルマ。互いに目を見合わせたあと、くすっと笑い合う。
「ま、そういうこともあるでしょ。うんうん」
「ひどいな。結構傷ついたんですよ、これでも」
「失恋は新たな出会いのチャンス。きっとステキな出会いがあるから、元気出しなさいよ」
「はは……もしかしてアルマさんとの出会いが、そのステキな出会いかもね……」
「え!?」
リョカも返す言葉の冗談のつもりで言ったのだが、アルマは股も驚いた様子で口で手を覆う。
「あはは、冗談ですよ。僕みたいな旅人と宝石会社の社長さんじゃ身分が違いすぎますよ」
「ええと……」
「あはは……」
膝を抱えて足の爪を弄るアルマ。彼女は赤が好きらしく、マニキュアは深みのある赤で統一されていた。
細く長く綺麗な指はいつも手袋をしているせいか、肌よりずっと白く見える。変に節くれだち、タコのようなものもみえる。
「イタッ!」
板のささくれたところが彼女の指先を刺し、赤い点を作る。
「いったい……もう……」
ぺろっと舐めるアルマだが、リョカはその手を取り、簡易の詠唱を施す。
「ちょっとリョカ、そんな大げさな……」
「じっとしてて、棘が刺さってるかもしれないから……」
リョカは自分のリュックから爪きりを取り出し、手に当てる。ぐっと押し当て、細く見えにくい棘を抜く。
「ありがと……。別に舐めておけば治ると思うけど……」
照れくさそうにいうアルマだが、指先を見つめて満足そう。
「アルマさんは手が重要な仕事をしてるんでしょ? 棘が刺さったままだと気になりますよね」
「へぇ、よくわかったわね。あそっか、宝石商っていってるしね。デザインとかカットもしてるわ」
「ええ。それに手袋いつもしてましたよね。それに見慣れないタコが手に出来てましたし……」
「そうなのよ。これ嫌になるわ!」
リョカの指摘に彼女は手を広げて、唯一醜くみせる人差し指の付け根を見る。
「ね、リョカはこういう手、嫌い?」
「え?」
「やっぱり女の人の手って綺麗なほうがいいの?」
一般論で言えばそうなのかもしれないが、これまで共に暮らしてきたマリアの手はそうはいえなかった。奴隷の日々もそうだが、パン屋の受付と手際の悪いリョカと代わっての水仕事でかなりあれていた。日々リョカを支えてくれたその手を、当然彼が嫌いになれるはずがなかった。
「何かを一生懸命しているってことはすばらしいと思います。僕はただ綺麗な手よりも、こういう手のほうが……」
かつてを懐かしむには華奢で綺麗な細指だが、自らの経営する宝石店を背負う過酷な指先に、リョカはしみじみと眺めていた。