異界幻想 断章-22
「深花。起き……」
深花を起こそうと顔を覗き込んだジュリアスは、ある事に気づいて息を詰まらせる。
顔立ちは、全く似ていない。
しかし、その雰囲気は……かつてこよなく愛した少女と、よく似ていた。
もう二度と会えないからと、その全てを忘れようと努力した少女。
顔は思い出したのに、名前は記憶の隅に引っ掛かって出て来ない。
「……何だったかな」
寝息の漏れる可憐な唇に指を這わせながら、ジュリアスは呟いた。
忘れようと努力した女の名前を思い出そうとするなど、自分でも酔狂な事をしていると思う。
しかし、気になった事をほったらかすのも気持ち悪い。
頬から耳、耳から首へと指を進めながらジュリアスは考える。
しかし、やはり思い出せなかった。
「……ん〜?」
しばらく顔をさすっていたらそれが刺激になったのか、不意に深花が目を覚ました。
「……あー。おはよう」
寝ぼけ眼で挨拶すると、深花は二度寝に入る。
「……おい」
何とも平和な光景ではあるが、ジュリアスはそれを打ち壊しにかかった。
「深……花……」
何度か肩を揺さぶった時、深花の目尻から何かがこぼれた。
頬を伝う、大粒の涙。
『お父さん……お母さん……』
ここへ来た当初、言葉の分からなかった深花は常にペンダントを身に着けていた。
しかし最近は普通に会話ができるくらいに語学の習得は済んだので、ペンダントを外している事もままある。
ちょうど、今日のように。
だからジュリアスには、深花が何を喋ったのか理解できなかった。
しかし、胸の内に湧き起こった黒い感情の存在だけは認める。
「……!」
感情を鎮めようと、ジュリアスは胸に爪を立てた。
涙を流しながら呼ぶとは……よほど親しい相手なのだろう。
元いた場所に残してきた、親しい相手。
それは、一体誰なのか。
親兄弟か、友人か、それとも……恋人か。
心の内に湧き上がる感情の正体を見極めたジュリアスは、愕然とした。
自分は、その人間に嫉妬している。
その人間に嫉妬するためには、自分が深花に単なる好意以上のものを抱いていなければならない。
そうなると、まだまだ未熟ではあるが仲間という自分の認識が間違っている事になる。
しかもその相手には遠くない昔、自分は当分恋愛する気はないと説教しているのだ。
そう簡単に、アプローチできる相手ではない。
「!」
手で頬を張ると、潔くジュリアスは認めた。
思い悩んでうじうじするのは、自分らしくない。
「……深花」
まだ眠っている深花の耳に、優しく囁く。
「好きだ……」
思いを表明してから、ジュリアスは深花を起こした。
「んん……?」
「起きろねぼすけ」
いつもと同じ口調を装いはしたが、声が柔らかくなっている。
確かに感情を隠すのが得意な訳ではないが、これはまずい。
「ん……」
大きな欠伸を一つして、深花は起き上がった。
「あ……おはよう」
ちゃんとこちらの言葉で挨拶すると、深花はまた欠伸をした。
「そんなに眠いのか?」
「ん〜……」
ジュリアスは苦笑すると、体を屈める。
「!」
優しく唇を奪うと、さすがに深花の目は覚めたようだった。