ラインハット編 その三 ポートセルミの砂浜で-1
ラインハット編 その三 ポートセルミの砂浜で
遠くに聞こえる音。それが波の音だと気付けないのは、彼が内陸育ちだから。
苦味のある潮風に吹かれ、前髪が瞼をくすぐると、ようやく彼は目覚めた。
「……うぅ……ん? ここは……」
瞼を開こうとするとぱりぱりと砂が落ちる。顔中、いや、身体中が糊付けされたような引きつる感覚があり、間接を動かすと乾いた砂が落ちる。
唇の端で固まっているそれを舐めたとき、苦味と辛さがあった。ジンワリと口の中の水分を吸い上げ、痛みを伴う。
――塩?
砂ではなく海水の乾いたものだと理解した頃、ようやく周囲を見渡す余裕ができる。
目の前には広大に広がる海があり、白い波しぶきを立てては引いていく。
背後には松林があり、防波堤らしきものが見える。
――ここはどこだ? 俺は脱出できたのか?
辺りには砕けたタルの破片が散らばり、ちぎれた鎖が見えた。
「リョカ!?」
共に脱出を図った友の名を呼ぶ。しかし、返事はない。
照りつける太陽に額から汗がこぼれる。ヘンリーはそれを腕で拭い、近くの松林の下に身を隠した。
日暮れを待って、ヘンリーは街の明かりを頼りに歩き始めた。
無一文。着るものも奉仕者の綿の粗末な物。浮浪者といえる恰好。
ポートセルミはサラボナ地方の港町として世界地図の西側への玄関の役割を果たしていて、かなりの規模で発展している。
ようやく街へとたどり着いたヘンリーは、空いた腹を摩りながら、いかにして日銭を用立てようかと思案する。
脱出の際に用意していた干し肉や古着などは全て失ってしまった。金銭面においてそれほど大きな損失ではないが、次の一手を打つ上で何も無しでは手数が狭くなる。
――ふむ……。
ひとしきり考え込んだ後、彼は酒場へと向かった。
++――++
街の酒場では夕暮れ時から水夫達が大勢集まっており、酒やギャンブルに興じていた。
みすぼらしい恰好のヘンリーだが、それほど上等ともいえない格好の水夫達に紛れるのは容易で、すぐに場に溶け込む。
ヘンリーはカウンターに向かうと、バーテンの目を盗み、空いたグラスをこっそり奪う。その足でルーレットの台へと向かうと、今チップを張ろうとしている客に声を掛ける。
「やあ兄弟、今日の調子はどうだい?」
「よしてくれブラザー、生憎俺を好いてくれる女神は貧乏神らしい」
両の手のひらをお手上げとばかりに上に上げる男は、酔いと負けのせいで顔が紫に見える。
「そっちの兄さんはバカ付きだねえ?」
隣でチップを高く積み上げる男にも声を掛ける。
「ああ、どうやら今日のツキは有頂天らしいんでね」
ヘンリーは笑いながら空のグラスを男のチップの上に置くと、その肩を叩く。
「あんたのツキを分けてもらうよ?」
「はは、もっていけるもんならな?」
そういって再び勝負に出る男。ヘンリーは三十七分の一の悲喜劇を見守らずに、トランプの台へと向かった。