ラインハット編 その三 ポートセルミの砂浜で-5
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船に揺られること三週間、各地の港へ寄りながら、ヘンリーは無事アルパカに辿り着いた。
街には志願兵募集の立て札があり、兵士となって一花咲かせようと企む若者が群がっていた。
ヘンリーはひとまず酒場へと向かい、最近の東国の情勢について尋ねまわった。
ラインハット国の現王、デール・ラインハルトとその太閤アルミナ・ラインハルトの噂は酷いものだった。
毒婦とすら蔑称されるアルミナは、初戦の勝利に近隣諸国に攻め入り、併呑に抵抗を示した街や村は徹底的に破壊しつくしているとのこと。
難民や流れ者が増え、オラクルベリーではそれらを恐れて自衛のために橋を落としたほどだ。
現在もブランカ国と一進一退の攻防を続け、双方とも次第に国力を落としているらしい。
さらにこの街でも仕事にあぶれた若者が戦争へと向かってしまい、世代的な空洞化まで心配されている。
ヘンリーは胸にたまるものを苦い水で飲み下し、ようやく宿へと戻る。
「……まさかここまでとはな……」
ベッドに大の字になりながら、ヘンリーは呟く。
アルミナが欲望に忠実なのは知っている。だが、元々女中の出の彼女が考える贅沢もたかがしれている。彼女の器を考えれば、他国への侵略は別の誰かの入れ知恵と推測できる。
そして現実には戦火は拡大し、浪費、疲弊していく。
「本当にね。人間というのはどうしてこう欲望本位に動けるのかしら?」
突然の声にももう驚かない。エマはヘンリーが一人で居るとき、姿を見せずに話しかけることが多かった。
「欲望本位か。いや、手に余る財貨に目が眩んだのかもな……。身の丈に合わぬそれは、身を滅ぼすだけなのだがな……」
「貴方は違うというの?」
「俺は王者になるんじゃないのか? 王者となる器が、たかが一国程度の示す財貨で心崩れることはない」
起き上がりウイスキーをコップに注ぐヘンリー。船旅で水夫に教えてもらってから気に入ったらしい。
エマにも口を向けるが、「やめとくわ」と言われ、一人分だけ注ぐ。
「……ふぅ……。ふふ……」
「何がおかしいの?」
「いや? 俺も非情だなと思ってな……」
「非情? 貴方が?」
意外そうに言うエマに、ヘンリーは逆に驚く。
「俺が情にもろいとでも?」
「非情には見えないわ」
「そうだな。心の中までは見えまいからな……。エマよ、お前ならこの混乱をどう考える?」
「どうって……、本当にくだらない争いをしてるとしか……」
「エルフの側から見れば人間の権謀術数などくだらないことだろう……。いや、今の東国にそんな高尚なものですらないかもしれんがな……」
そう言って一口啜る。含み過ぎたところがあり、咽てしまう。嗜好が合うことと飲めるということは別にあるらしく、タオルで口を拭く様はまだまだ青二才そのもの。
「こほん……。今の俺にとって、ラインハット国、いや東国の状況は有利に動くだろう」
「どうしてそう言えるの?」
取り繕うヘンリーに、エマは半眼を向ける。
「混乱と疲弊、明日が見えないのなら、人々は英雄を求めるものだからだ」
「貴方が英雄? ふうん……そうは見えないけど……」
今しがたウイスキーの濃さに咽た男だけに、エマは半信半疑。
「……お前、俺に王者になれと言ってなかったか? ……まあいい。英雄になるには……色々面倒な条件がある。俺はその一つを潜在的にクリアしており、結果的にクリアしている。あとは……なるようにさせるさ……」
「まったく、いつも貴方は自信過剰ね……。私が通り掛からなかったら死んでいたかもしれないのに」
「お前の手で助けられた。そのことには感謝している。そしてポートセルミに運んでくれたことにもな……」
「え? ……まあ、そうよね……そう……」
何時に無く真剣な表情で見つめるヘンリーに、エマは視線を逸らせて口ごもる。クールを装う彼女も慌てることはあるらしい。だがヘンリーが見ているものはもっと別にあり……。
「俺はきっとラインハットの王になる。もともと約束されていたのだ。お前はこれまで通り黙って見ていればいい。なに、この程度の苦難、俺一人で十分乗り越えられる……」
そう言ってヘンリーが再び褐色の瓶を斜めにしたとき、エマは指を鳴らす。空中に小さな氷が現れ、コップにちゃぽんと音を立てる。
「オンザロック。少しは頭を冷やしなさい」
エマはそう言うと、再び姿を消した……。
「ふむ、これはこれで……」
丁度良い具合のそれに、ヘンリーは快い酩酊を覚えた……。