ラインハット編 その二 奴隷王子-9
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処置室とされる部屋に入ると、水の音がした。
いくつか樽が置かれており、病人の手当てをする場所には見えなかった。
「ヘンリー、ここが処置室なのかい?」
想像と全然違う場所にリョカは疑問を口にする。
「ああ、そうだ」
肩を回しながら全快ぶりをマリアに見せるヘンリーは、すぐに樽を四つ用意する。
「でも、処置って……」
「処置というのは名ばかりで、ここから海に捨てるのさ。この樽に入れてな」
「え!? じゃあまさか……、ピエトロは……」
「言うな。俺にはどうにもできないことだ」
彼の犠牲のおかげで活路が開けた。その意味でピエトロの死は無駄ではない。それが詭弁であるのは判っているが、言うとおり、彼にできることはなかった。
「この樽は二重になっている。昔異国のお土産にもらったマトリョーシカとかいうものを思い出してな、一つ目で落下の衝撃吸収、もう一つで海に浮かぶというわけだ。これで外に出られる」
監視に用立ててもらっていた古びた毛布と干し肉をしまいこむ。
「ふうん。猿なみには考えたつもりなのね。でも、外に出てどうするの? そんな樽、海流に乗れなければ海を漂うだけでミイラになるわよ?」
「だ、誰?」
虚空からの声に驚くマリア。するとふわっと光が集まり、エマが姿を見せ、彼女はほっと息をつく。
「当然だな。だが、今日はできるのだ。というか、チャンスは今日のような日ぐらいだろうな……」
「何か考えがあるの?」
「うむ。奉仕者の数は多すぎても少なすぎてもいけない。多すぎると管理ができず、少なすぎると工程に支障をきたすからな。奉仕者の数は一定量で推移する必要がある。俺はここへきて暫くの間、各閨の奉仕者の数と、減った数、それに補充される曜日を調べていた。当然、補給の日も船の都合などがあるだろうからな。そして、連絡船のくる周期を突き止めた。この前の補充から俺が倒れるまでに死んだ奉仕者は十三人。樽の減った量をみるに、そろそろ新しい奉仕者を補給する必要がある。今日はその定期船が来る日だ。まあ一日二日のずれはあるかもしれないがな……」
それほど得意ではない魔法やこれまでに仕入れた知識と簡単な情報を数珠繋ぎにして形にした脱出作戦。成功の可否は神のみぞ知るレベル。それでも三人の賞賛の眼差しを見て、気持ちの上で勝率を修正する。
「へえ、口だけではないのね」
「ふふん、当然だ。さて、リョカ。俺達は今からこの水路を経て下界に出る。そうしたらまず船を見つけるのだ。教壇の連絡船は常に日の出のほうから来る。岩場づたいに東を目指す。そして、船を見つけたら強引にもぐりこむのだ」
「そこから先は無計画なのね」
ふうとため息を着くエマ。だが、リョカと自分の魔法ならそれも可能だろう。火炎や氷結、風などはほとんど使役できない彼でも、幻惑魔法のマヌーサ、メダパニなどは妙に得意だったから。
早速タルを二重にすると、古びた胴衣を詰め、さらにリョカが入念に防壁魔法を施す。そして水の流れるほうへと転がしていった。
「それでは行くぞ。リョカよ、必ず無事ラインハットの地を踏むぞ。その時は俺が親分で、お前は子分だ。いいな?」
本当は友と言いたかった。けれど照れくさく……、
「ああ、わかった。けど、僕は父さんの……」
「うむ。お前はまずパパス殿の……その時は俺に償いをさせろ」
後ろめたかった。
「償い? ヘンリー、君は……」
「よし、行け!」
ヘンリーは続いてマリアをタルに詰める。
「マリア、俺がラインハットの王に戻った時は、君が隣にいてくれると嬉しい」
自分でも不思議に思うほどの執着に戸惑いつつ、ヘンリーは彼女の頬にそっと口付けした。
「ヘンリー、私は……そんな価値の無い……」
彼女の弱々しい言葉など、聴く耳を持たずに。
「頼むぞ……」
煮え切らない彼女を強引にタルに押し込め、続いて自分もタルに篭る。そして横になり、転がりながら水路を目指していく。
「まったく、素直に私の僕になれば良いものを……」
腕を組みつつ嘆息をつくエマ。だが、真の王者になるべく者が簡単に頭を下げるのもつまらないと、ごろごろ転がる様を見る。
そして、じゃぶんと一つのタルが転がり落ちたのをきっかけに、三つ四つと続いていった……。