ラインハット編 その二 奴隷王子-2
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「最近の天候だと、小豆相場が……。ポートセルミ近くの辺鄙な村があったろう? そこへどれだけ台風が来るかで変わってくる」
作業場の隅っこ、人気のない場所でヘンリーは監視者の一人とひそひそと話をしていた。
監視の男は熱心にメモを取り、頷いていた。
「他にラインハットできな臭い話があったな? なら金の価値が相対的に上がる」
ヘンリーが師事しているのは相場について。ラインハットに居たころから政治経済に明るい彼は、天候や地域の情勢から市場の動向を大まかに予想する術を知っている。
監視の一人が相場についてぼやいていたのを盗み聞きし、簡単な手ほどきをしたのだった。それ以来、ヘンリーは相場指南の見返りとして、色々と便宜を図ってもらっていた。
「うむ。なるほどな……参考にさせてもらう……。それと……」
監視は辺りを見回してからこっそりと包みを出す。それは干した肉が数枚包まれていた。
ヘンリーが提供している情報の代金としてはかなり下回るのだが、奉仕者という立場上、平等の取引など願えるはずもなく、ヘンリーは黙ってそれを受け取る。
「いつもすまない。それと……、次は何時もらえるかわかりますか?」
「ん? ああ、定期船はまだ暫く……、あと三週間程度かかるな。その時にはまた干し肉を便宜するから……」
「わかっています」
ヘンリーは干し肉を腹に隠すと、周囲を伺ってから作業場に戻った。
彼にはある、目的があった……。
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初めて出会った時、彼はわが目を疑った。
この世の地獄とも言うべき光の教団、神殿の建設現場にて、それはやってきた。
靡く金色の髪、白い肌。二重瞼は悲しみに伏せられていたが、高い鼻と形の良い唇のせいで、その美貌が際立つ。きっと笑ったら優しい優雅なそれを見せてくれると思う、そんな人だった。
彼女の名はマリア・リエル。王族暮らしのヘンリーにとって彼女程度の容姿ならそれほど珍しい存在ではない。ただ、久しぶりに見るたおやかな彼女に、ふと心がざわめいた。
運命などという安い言葉をヘンリーは信じない。けれど、彼女にだけは例外を認めたい。この地獄において、可憐といえる存在にあえるなど、奇跡のほかにありえないのだから。
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彼女が来てから暫くの間、ヘンリーは黙々と作業に従事していた。
もちろん、信仰心からではなく別に目的があってのこと。彼は奉仕者の数を数えていた。
その日その日の気分次第の拷問により、二、三日に一人が処置室送りになる。前に流行り病を患った同世代の奉仕者は、リョカの看病の甲斐なく処置室送りとなった。
その時肩を貸したヘンリーは、処置室とは名ばかりの簡素な部屋を見た。
タルと水の音のする部屋に入るなり、ヘンリーは追い出された。徒に「処置」をしているところを見せて、奉仕者を必要以上に追い詰めたくないのだろう。だが、他に処置を待つ奉仕者や、これまでに処置をされた奉仕者が居ないことを見れば、そこで何をされているのかは一目瞭然だった。
処置室送りに随行する老奉仕者がそれを語りたくないのはわかる。きっといずれは自分も処置されるのだろうから。だが、ヘンリーはそこに希望を見出していた。
神殿と下界を結ぶ抜け道。そして、定期船。この二つを結べば、脱出も可能ではないだろうか?
ヘンリーは計画が形になるまで波風をたてまいと、周囲の状況に合わせていた。