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「公園の泡姫」
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「公園の泡姫」-1



 藤原明日香は、社会福祉学を受け持つ専任講師、犬飼美千代の研究室に呼び出され、説教を受けていた。机の上には、赤ぺンで大きく×印がつけられた明日香のレポートが置かれていた。
「こんな内容じゃあ,単位はあげられないわね。」
 痩せぎすで、険のある顔立ちの犬飼が、メガネ越しにジロリと見て意地悪く言った。
「そんな…」
 明日香は今にも泣き出しそうな顔で犬飼の顔を見た。明日香は福祉関係の勉強をしている女子大の1回生だ。こうして呼び出され、叱られてはいるが、彼女は決して成績が悪い学生ではない。いや、むしろ、成績は優秀だった。ただ、どうも犬飼とはウマが合わない。講義で指されて度々衝突し、試験も惨憺たるものだった。そして、追試替わりに提出したレポートも、この状態である。しかし、犬飼が担当する講義を捨てるわけにはいかなかった。明日香の学科では、この単位を取らないと留年してしまうのだ。
「あなた、社会の底辺にいる人たちを、心の中では軽蔑してるでしょ。」
「そんなことありません!」
「嘘おっしゃい。あなたみたいなお嬢様が、貧しい人のことを本気で考えられるわけないわ。」
 犬飼が憎々しげに言う。明日香の父親は一部上場企業のオーナー社長であり、周りからはお嬢様と呼ばれる立場にあった。
それが、そもそも犬飼の気に入らない。
「しかも、ちょっと顔が綺麗だからって、いい気になって。」
「そんなの、言い掛かりですっ!」
 まさに言い掛かりであった。明日香はミスキャンパスに選ばれるぐらいの美人であるが、それを鼻に掛けたことなど一度もなかった。しかし、それも犬飼の気に入らない理由であった。
「そうじゃないって、言い切れるの?貧しい人に、どんな奉仕でもできるって?」
 犬飼が厳しい口調で問い詰めた。あまりも一方的な言い方に、明日香も腹を立て、強い調子で言い返した。
「もちろん、できます。なんだって!」
「そう…、わかったわ…」
 何かを思いついた様子で犬飼はそう言い、不気味なぐらい優しげな表情でにっこりと笑った。
「それじゃあ補習を受けてもらって、それにパスすれば、単位をあげるわ。」

 都心にある公園にホームレスの姿が目立つようになったのは、いつ頃からだろう。
 かつては、市民が散歩したり、子供たちの遊び場になっていた公園は、今やブルーシートと段ボールで作ったテントがびっしりと立ち並ぶスラムに変貌していた。
 午後の日が傾き始めた頃、ブルーテントが列をなす間を抜けて、若い女がやってきた。上品なピンクのカットソーに膝丈のスカートをはいた清楚な格好の娘で、頬の線に幼さを残す顔立ちを見ると、高校生か大学生らしい。何のためか、両手で大きな金盥を抱えている。
「こんにちは、皆さん。私、天平女子大1回生の藤原明日香と言います。」
 娘がそう声をかけると、地面に段ボールを敷いて寝ていた男が何事かと上半身を起こし、あちこちのテントから顔が覗く。
ホームレスの男たちの目に映ったのは、アイドルと言っても通るほどの可愛い女の子だ。ナチュラルな長めのボブヘアに、つぶらな瞳が印象的な整った顔立ちをしている。
「みなさんのお体を洗うボランティアで来ました。希望される方は集まってください。」
 明日香の言葉に、テントの中からホームレスがわらわらと姿を現した。
 明日香がブルーシートを地面に敷き、公園の水飲み場に盥を据え付けると、十数人のホームレスが彼女を取り囲む。皆一様に、物珍しそうな顔をしている。
 長い間洗っていないホームレスたちの体から、饐えたような臭気がムッと立ちこめ、明日香は思わず眉根を寄せた。鼻が曲がりそうな臭いに取り囲まれ、呼吸が苦しいほどだ。明日香はできるだけ空気を吸わないように、呼吸を止め、口から少しずつ息をする。しかし、ここで笑顔を絶やしてはならないのだ。
 明日香はチラリと、テントの外れに立っている人影を見た。
指示どおりにやるかどうか、犬飼が監督に来ている。


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