猫じゃらし-1
7時の朝礼が終わり、現場へ向かう。
先輩が運転する車の助手席に座りながら、今日は暑くなるのかな、なんて漠然と考えていた。
「今日さ、涼しいといいね。まだ梅雨でもないのに」
「そ・・・そうっすね」
先輩にいきなり話し掛けられたのと、偶然にも同じ事を考えていた驚きで返事が吃り気味になってしまう。
「まだ寝呆けてんの黒瀬。仕事中怪我しても知んないよ」
低い声がまだ覚醒しきってない様に聞こえたのか、先輩が笑いながら言った。
・・・その時は先輩に介抱してもらいたいっす。
「だ、大丈夫っすよ。こう見えて頑丈ですから」
思った事が言えなかった。
いや、それ以前にちゃんとした受け答えにすらなっていない。
「アホ」
はい、阿呆です。
・・・でも、仕方ないんです。
手を伸ばせば触れる距離に、自分にとって特別な人がいて、平然としてられる男がいるかよ。
先輩と組む様になって3ヶ月くらい経つけど、なかなか落ち着かないもんだな。
「足滑らせて頭からいったらオシャカよ。分かってます?黒瀬くん」
「えっ?!あ、あの、はい」
丁度赤信号だったからか、先輩はこちらに目を向けた。
大きな瞳のすぐ下のぷっくり膨らむ涙袋、いつもセクシーですね。ゾクゾクしちゃいますよ。
雑誌かなんかで知ったんですが、そこが膨らんでる人は結構性に関する欲求が大きいらしいっす。
「1メートルは?」
「・・・一命、取る」
「そう。分かっていれば問題無し」
この言い回しは、先輩もまた自分の先輩から聞いたらしい。
1メートルは一命取る。まあ、あれだ。駄洒落だな。でもブラックだ。
例え落ちた高さが1メートルであっても、打ち所が良くなければ無事では済まない。
・・・介抱してもらおうだなんてほざいてる場合じゃねえな。
先輩が言いたいのはつまり、不注意で怪我する様な男は好きじゃない、という事だ。
あれ?なんか違う?
違いますよね。介抱させて仕事を遅らせる様な間抜けな男など、必要無いと・・・
これもしっくり来ないな。
「よし、着いた。仕事を始めるよ黒瀬」
「はい、先輩!」
「返事はいいね。返事は」
それは違います、俺は決して返事だけの男じゃあないんです。
穴を掘らせたらもぐらよりも速い黒瀬孝明です。