続・幻蝶(その1)-3
そんな私のもとに、ヤスオから航空券とともに短い手紙が送られてきたのは、ヤスオの記事を女
性誌で読んでから一ヶ月後のある日の午後だった。
…亜沙子さん…お元気でしょうか…ボクのことを憶えていますよね…
やっとあなたの住所を知ることができました。亜沙子さんはトモユキといっしょにニューヨーク
にいるとばかり思っていましたが、トモユキと別れたことをある友人から聞きました。
あれから、もう何年たつでしょうか…あなたに受けた仕打ちで、きっとあなたは、ボクがあなた
を怨んでいると思っているかもしれません…でも、ボクは怨んでなんかいません…
いや、今でもボクはあなたのことが好きです。ほんとうです。ずっとあなたに会いたいと思って
いました。
あなたがトモユキと結婚してからというもの、ボクは失意で胸が張り裂ける思いでした。
申し訳ありません…あんなフィギュアをあなたに送ってしまって…ボクはあのときどうかしてい
たのかもしれません。
でも、あなたが恋しくて、好きだったからこそ、ボクはトモユキと結婚したあなたをうらやみ、
あのフィギュアをあなたに送ってしまったのです。
ボクは今、南イタリアに住んでいます。碧い地中海がどこまでも見わたせる古い館に住んでいま
すが、とても素敵なところです。ぜひ、こちらに一度、遊びに来ませんか…
手紙を手にした私の瞳がほのかに潤んでくるのを感じたとき、私はイタリア行きの飛行機に乗る
ことを決心したのだ。
眩しい太陽の光が紺青の空に耀き、エメラルドグリーンの海から吹いてくる乾いた微風が頬を撫
であげる。荒涼とした小高い丘の中腹から少し入り込んだレモン林とオリーブの樹木に囲まれた
静かな場所に、ヤスオが住む古い館はあった。
白い壁と赤茶けた屋根をした建物の軒の深い回廊には、南イタリア特有の光と影が差し込み、
菩提樹の甘い香りが中世に建てられたという趣のある優雅な館全体を包み込みこんでいた。
館のテラスには、赤いゼラニウムと色とりどりの薔薇があざやかに咲き乱れていた。真昼の静寂
の中に、噴水の水の音だけが響いている。彫像が点在する広い庭先からは、抜けるような碧さを
もった地中海が遠い地平線まで広がっていた。
「…よく来てくれましたね…」と、背後で低い声がした。
振り向いた私の目の前には、白いポロシャツと黒いズボンをはいた細身の美しい青年が立ってい
た。艶やかになびいた髪の毛と憂いを湛えたような深い瞳、高い鼻筋、そして微かに潤んだ唇に
湛えられた笑みが、私の視線を釘付けにする。