昏い森−睡蓮−-7
*
贄でもない人間をどうするつもりもなかった。
それなのに。
娘からは甘やかな香りがした。
紅い唇は熟れた果実のように瑞々しく、そうしてやはり妙なる味がした。
贄ではないのに―。
戯れに自分のために生きろと言ったが、娘はいつか森羅なしでは生きられないと言うほどまでに懐いた。
娘の傍にいると温かい。
娘が笑うと、腹の奥の方が痛んだ。
いつしか、森羅は睡蓮に溺れていった。
贄でなくていい。
睡蓮がいい。
森羅はずっと、自分の傍で笑ってくれる誰かが欲しかったのだ。
今きっと森羅は、月読が贄の娘に笑いかけていたような顔を睡蓮にしているのだろうと思った。
*
娘の頬に、涙の痕をみつけて森羅はそれをそっと拭った。
「・・・どうして、いなくなるの。約束したのに」
案の定、睡蓮が目を覚まして、隣を探っても冷たい布団の感触しかなかった。
「贄といるときは別だが、我々は昼間、森で鋭気を養わなくてはならない」
ちりりん。
睡蓮は森羅の腕を掴んだ。
「不安なの。すごく」
ちりん。
ずっと一緒に。それこそ昼も夜もなく傍らにいることができたら。
こんな鈴の音に一喜一憂することもないのに、と睡蓮は少し恨めしく思う。
「…お前、ここを出ることができるか?」
ふと尋ねた森羅に睡蓮は勢い込んだ。
「出られるよ!だって、あの夜だって出たのだもの」
「そうか。では、ここを出て、森の端の屋敷へ移ろうか」
「…森の端の屋敷…?」
そう。今は誰も住んでいない、あの小さな守り人の屋敷。
甘美な女たちの残り香が微かに漂う、あの場所。
森羅は思い浮かべる。
自分をおいていった女たちを。
美しい、黒髪を。
そして、傍らに静かに侍る、妖たちを。
いつか自分もと焦がれたあの姿。
「知ってる。お祖父様の想い人が住んでらしたお家よ」
祖父は祖母とはまた別に、愛した人がいたと誰かから聞いた。
黒髪の、少女のような人だったと。