幼年編 その六 策謀-9
「さて、そろそろ教師共が来るころだろう。すまないがリョカ、今日も十一時頃にレモネードを頼むぞ。それと少し甘めにな。どうも頭を使うと糖分が恋しくなるんだ」
「はいはい」
リョカが給仕の真似事を断らないのは、台所でおやつのつまみ食いが出来るから。昨日はバターたっぷりのパンケーキで、今日はなんだろうか? そんな期待を持ちながらヘンリーに続く……と、
「……キャー! 泥棒!」
屋台の一角で女性の悲鳴が聞こえてきた。
「なに! このラインハットで狼藉を働くとは不届き者め! 我が操鞭術から逃れられると思うな!」
「落ち着いてよ、ヘンリー。この人ごみでは逆に危ないよ」
ヘンリーが携帯していた鞭を構えるので、慌ててリョカが止める。
「だが、このまま見過ごせというのか?」
義憤に燃えるヘンリーを止めるつもりはリョカにもない。ただ、人で賑わう街では彼らの携帯する武器は周りに被害をもたらしかねない。
「ねえシドレー、ガロンと一緒にお願いできる?」
「ん? ああ、ええで、いくぞガロン!」
シドレーはガロンに跨り、とさかの赤い毛に掴まる。
「にゃ〜」
なんとも気の抜ける泣き声のあと、ガロンは人々の足元をすり抜けながら声の方へと走る。
「僕らは先回りをしましょう」
リョカの言葉にヘンリーは無言で頷き、路地裏を示して走り出した。
人の流れを不自然に遡る暴漢。突き飛ばされる人々は驚き、たまに罵倒しながらそれを見送る。
「まてや〜!」
そしてそれを追うトカゲを乗せた猫一匹。暴漢は何度か振り返るも、声はすれど姿の見えない追っ手に眉をしかめるのみ。先ほどから路地裏に逃げようとすると、それを先回りしているかのように存在感があり、いまだ人ごみから出られない。
だが市場もどこまでも続くわけもなく、ようやく人の切れ間が見え始める。そしてとうとう抜けたとき、マントをなびかせる少年が現れる。
「そこまでだ!」
広場にて鞭を構える少年。ここでならそれを自在に操れるとばかりに、縦横無尽に砂埃を巻き起こす。
「神妙にしろ! この不届き者が!」
「くっ……」
足元を掠める鞭の先端は見切れるようなものではなく、鋭く抉られた地面にその痛みを想像してしまう。
「ぐ……!」
男はさして抵抗をせず、盗んだと思しき財布をヘンリーに投げつけると、怯んだ瞬間に逃げ出す。
「待て! 逃げるな!」
ヘンリーはそれを追おうとするが、手に持った財布からばらばらと小銭がもれる。
「くそ、小銭が……」
律儀に小銭を拾う内にどんどん男は去っていく。ヘンリーはそれを歯軋りしながら見送り、財布を閉じる。
「あ、ありがとうございます!」
財布の持ち主であろう女性が彼の前にやってくる。
「なんのこれしき、朝飯前だ。だが、警備の者は何をしているんだ。こんなときこそ出番だろうに……」
市場の警備に不満を愚痴りながらヘンリーは財布を返す。すると、その手をぐっとつかまれ……、
「なんだ? 離せ……」
手首を力強く掴まれたことに驚くヘンリー。女に向き直ると、目と目の間にひとさし指を付きたてられる。不意のことにそれを見つめてしまい、
「手をかけさせないでね、腕白王子……、ラリホー」
強制睡眠魔法の罠に落ちた。
「な、ヘンリー!」
「兄上!」
ヘンリーが攻撃されたことに気付いたリョカとデールはかけよろうとする。しかし、背後から大きな麻袋を被せられ、声を出そうにももごもごと言葉にならない。
「行くぞ!」
男の低い声が聞こえたと思うと、次に聞こえたのはいななく馬の声と走りだす車の音だった……。