A-1
「お父さん。私、どうしたらいいと思う…?」
教員として記念すべき初日を終えたというのに、雛子の顔はすぐれない。茶の間に大の字に寝転がり、天井をぼんやり眺めている。
──戦争が終わって10年経つが、この美和野じゃ何も変わらない。
頭に浮かぶのは校長の高坂が云った言葉。つまりこの村は、今も戦前のままだということ。
庄屋と呼ばれる“大地主”が村の田畑を独占し、その他大勢の農家は、わずかな農地から得られる収穫で生計を立てている。
(でも、哲也くんの家は…)
担い手を無くした哲也の家は、持っていた土地を二束三文で庄屋に買い叩かれ、半ば強引に奪われた。
この件に関しては役場も駐在も介入しない。云わば、庄屋は“権力者”として、今もここ美和野に君臨しているのだ。
そして、哲也の母親は男に混じって人の土地を耕している──ただ、息子の成長だけを糧にして。
(こんな事が、今も許されるなんて…)
父親の元で差別など感じたことが無かった雛子。厳しい面はもちろん有ったが、それ以上に注いでくれた愛情を感じて成長した。
それは自分たち家族だけで無く、沢山の教え子にも同様だった。餅をついたり、庭の柿やビワ取り等、様々な催しを考えては招き寄せていた。
(今思えば、あの物不足の時に…)
当時を思い出す。皆んなと一緒になって遊んでいたが、考えれば餅米などどうやって手に入れてたのだろうと。
(やっぱり、闇市で買ってたのかな…)
戦中。物資のほとんどは軍軍の統制下にあり、よほどの金持ちでない限り、軍から支給される“配給切符”を、わずかな食料や日常品と交換する生活を強いられていた。
当然、配給だけで足りるはずも無く、人々は“闇市”と呼ばれる未公認の市場に、足りない分を買い求める。べらぼうな値段と分かっていても。
雛子の家はけっして裕福ではなかった。そう考えると、
(お父さんもだけど、お母さんも、いつもニコニコしてたなぁ…)
不思議と涙が出た。
穏やかな笑顔なのに、目尻からは涙が溢れていた。
(私、お父さんの子で良かった…)
その時、雛子の心に、“ある想い”が芽生えた。