A-5
昼休み。
美和野分校には、給食はない。従って、各々が弁当を持参すことになっている。
裕福な家庭の子供は、卵焼きやウインナーの入った豪勢な弁当を持ってくるが、総じて、白飯をむすんだだけの塩むすびと漬物だけという物だ。
だが、弁当さえ持ってこれない子供もいる。
彼らは、昼休みになると、教室から居なくなる。辛さをまぎらわすために。
哲也がそうだった。
いつもひとり、校舎の片隅で時間を潰していた。
「はぁ…」
哲也は足洗場にいた。
汲み出した水を飲んで、空腹をごまかしていた。
「哲也くーん!」
カン高い声が聞こえた。
振り返ると、雛子がこっちへ向かって来くるではないか。
「ああ…」
たじろぐ哲也。逃げようとしたが、一瞬早く雛子にせき止められてしまった。
「ハァ、ハァ…逃げないでよ…今日は…お願いがあるの」
自分の前にしゃがみ込まれ、哲也は身体が動かない。
「…なに?」
怯えた声。しかし、初めて雛子に向けられた言葉だった。
「やっと、お返事してくれた…」
喜びいっぱいの笑顔が、哲也の目に映る。
「ご挨拶、まだだったね。私は河野雛子。あなたは?」
「…早川…哲也…」
「早川…哲也くんね。よろしく」
雛子は右手を差し出す。哲也は戸惑いの表情をしている。
「よろしくの握手よ」
優しい声に促され、哲也は右手をシャツの端で丹念に拭いて、雛子の手を握った。
「…よ、よろしく」
「うん!よろしくね」
哲也の顔が、かすかに笑っていた。
「実はね。もう一つお願いがあるの」
「えっ…?」
雛子は、傍らに置いた風呂敷包みをほどいた。
「あのね。先生、お弁当作りすぎちゃって。一緒に食べてくれないかな?」
表れたのは、竹の皮に包まれたおにぎりと佃煮だった。
「…これ」
「先生、ひとり暮らし初めてで、分量がよく解らなくてね。失敗しちゃったのッ」
そう云うと、雛子はペロリと舌を出した。