A-3
「ほらッ、大人しくなさい」
慣れた手つきで襲ってくる鶏を掴まえると、そっと奥へと連れてった。
「昔、家でも飼ってたんです。毎朝、卵を取りに行くのは私の係だったんですよ」
「そうですか」
雛子はしゃがみ込み、中に散乱するフンや羽を集めだした。
掃除は、あっという間に終わった。
雛子と高坂が小屋を出た。
ちょうど入れ替わるように、低学年生が2人がやって来た。
今日の鶏当番だ。
「せんせえ、おはようございます!」
その手には、菜っぱや貝殻が握られている。雛子は子供たちに笑いかけると、
「菜っぱは細かくしてあげてね。鶏もお腹空かしてるわよ」
優しく語りかけて、その場から離れていく。すると、すぐに後ろから悲鳴のような笑い声が挙がった。どうやら、雛子同様、オス鶏に襲われてるようだ。
「ふふふっ…」
思わず笑みが漏れる。しかし、隣を歩く高坂は笑っていなかった。
「ところで河野さん…」
柔らかい口調。雛子は振り向く。
「私に何か?ご相談でも」
「…な、なんで分かるんです!」
心の中をズバリ云い当てられ、思わず大きな声になった。
高坂は、雛子の顔を覗き込むと、
「掃除の時の顔が、楽しそうでなかったものですから」
ニンマリとした顔で笑いかけた。今度は雛子の顔から笑みが消えた。
「校長先生。その…」
「哲也のことですな?」
鼓動が速くなる。高坂を見る眼が、大きく見開いた。
「あなたのその顔。新任の先生が、そんな顔をするのは子供のことに決まっちょります。それに昨日、朝の言葉」
「言葉…?」
「明治や大正じゃないのに、何で小作なんかあるんですか…」
容姿に似合わぬ鋭い観察眼に、雛子は驚きを隠せなかった。
視線が下に落ちる。
「仰有るとおり、哲也くんのことです」
話始めた途端、今度は高坂が難しい顔になった。
「あなたが幾ら嘆いても、この美和野のしきたりは変わらんでしょうなァ…」
その顔が空を仰いだ。
「いえ、そうじゃないんです」
その時だ。高坂の耳にはっきりとした雛子の声が聞こえた──強い意志を感じさせた。
振り向くと、真っ直ぐに見つめる彼女の眼があった。