A-10
それから、10日ほど過ぎた5月中旬、家庭訪問が始まった。
受け持った生徒、ひとり々の家庭を訪問し、子供のおかれた状況を教師が確認する業務。
「えっと…明日はヨシノちゃんと三郎くんで…」
放課後。雛子は職員室で、明日からの予定を紙に書き出していた。
「…それから、大くんに浩くん、公子ちゃんと…」
家庭訪問に割り当てられた日数は2日間。
「そして最後は…」
雛子は書き込んだ──早川哲也と。
「…これで、いいわね」
ようやく完成した日程表に目を凝らし、雛子は何度も頷く。
「…よしッ」
彼女は、最終日の最後に哲也をもってきた。是非とも、母親に会って、じっくりと話を交えたかったからだ。
雛子は、各々の生徒の名前に日付と日時を書いて渡した。
そして、最後の一枚を持って、哲也の席に近づいた。
「哲也くん。お母さん、何時頃いらっしゃる?」
「えっと…」
その時、後ろの席から思いがけない声が挙がった。
「そんな小作の奴に、話することあるかあッ!」
雛子は振り返る。声の主は和美だった。
「な、なにを云うの…和美くん」
動揺を隠せない。まさか、こんな言葉を聞くとは思ってもみなかったからだ。
しかし、和美の憤りは収まらない。
「哲也ばっかり贔屓して!父ちゃんに云いつけてやるッ」
悔しい思いを、一気に爆発させた。
「和美くん…」
雛子にとっては意外だった。ひとり、孤立していた哲也を救うことで、こんな意見を聞くとは。
「いい加減にしねえかッ!」
一瞬の静寂をおいて、怒声が響いた。大だった。
「哲也はオレたちの仲間だ!それを悪く云うのは、許さんぞッ」
「そうだ!哲也は仲間だあ」
普段、大人しいヨシノも立っち上がっていた。
その途端、哲也は席を立って、教室を飛び出した。
「あッ!哲也くん、待って!」
雛子も教室を出た。
しかし、哲也の姿は、もう無かった。