凪いだ海に落とした魔法は 2話-20
僕はどうしたものかと悩んだけれど、悩むくらいなら行くべきだとすぐに思い至る。試験前日の深夜に酒を飲むなんて、どう考えても狂ってる。それはきっと楽なことじゃない。試験に備えて勉強するほうが楽なのだ。なぜって、勉強せずにいるのは怖いから。落第するのが怖いから。怒られるのが怖いから。落ち込むのが怖いから。馬鹿にされるのが怖いから。周りの流れから外れるのが怖いから。でも、その恐怖を克服しようと勉強するのは、世間的には誉められて然るべきことだ。目標はなくても、取り敢えずテストでいい成績を取れば、それだけで模範的な生徒だという証明書をくれる。必要なものと、不必要なものを取捨選択して生きる生徒には、落ちこぼれのレッテルを張られる。そうしたほうが都合がいいから。「世間に取って都合のいい人材を作る」というのがこの国の教育だということには、僕も薄々気が付いている。でも、その意思から外れたときに何が見えるのか、僕はまだ知らない。それを知るにはリスクを背負う必要がある。試験を前日に友人の家で冷凍ピザを食べながらビールを飲むという、馬鹿馬鹿しいリスクが。
「飲みやすいやつを用意しておいてくれないかな。ビールは苦手なんだ」と僕は言った。
『ウィスキーを何か甘いジュースで割ってみよう。口当たりがいいんだ』
沢崎はそう言って楽しそうに笑った。
雨が降っていた。ガラス針みたいに鋭利な水滴が間断なく地面を叩いている。窓に弾けた雨が外の景色を滲ませて、涙で歪んだ視界のように世界の輪郭を崩していた。
それでも空は、不気味なくらいに晴れわたっている。こういのを狐雨というのだろうなと、僕は思った。狐の嫁入り。嫁御寮の心情を狐の行列に仮託した夢幻。こんな雨が止んだ後には、虹が出るかもしれない。
教室の空気も似たようなものだった。雨に濡れた衣服みたいにじっとりとした心地の悪さと、雨上がりの青空のような快活さが、互いに遠慮し合うように同居している。じめじめ、ざわざわ、テスト期間中に特有の空気感。
机の上に開いた教科書は、単なるポーズとしてそこにあるだけ。僕の目は文をなぞりながらも、落ちようとする目蓋の重みと戦っていた。
昨夜は結局、明け方まで沢崎の家にいた。酔いが残るほど呑んだわけじゃない。ただ、酔いのせいで家に帰るのか億劫になったのは確かで、だらだらと時間を消費しているうちに、いつの間にか朝になっていたのだ。
馬鹿馬鹿しいなと、自分でも思う。刹那的で、即物的。本能に忠実なライフスタイル。つい最近まで馬鹿にしていたそのスタイルの中に、僕は巻き込まれている。
定められたレールの上から脱線して歩く感覚は、怖くて、でも少しだけ、甘い。チープな背徳感と、安上がりなスリル。これが病み付きになったとき、大人から嫌悪されるような、今時の類型的な不良少年ができ上がるのだろう。
でも、沢崎や日下部が類型的な人間かと言うと、それは違う。背伸びをして虚勢を張って、自分が周りからは外れた人間なのだと、実在もしない何かに向けて必死にアピールしているような、そういう連中とは違っていた。
それはきっと、楽なことではないだろう。こう在りたいと思いながら、その生き方に身を投じた人間には、それに対する羨望や、元の自分に対する疑問や、不安があった。だからこそ、変わろうとしたわけだ。自分に足りないものを求めた結果だったり、現状からの逃避だったり――。たとえそれが刹那的な結果だとしても、満たされるものが――答えが、逃げた先には用意されているから。
でも、沢崎や日下部は、始めからそこにいた。何故だか、僕にはそう思える。最初から枠外にいるから、逃げる先なんて、どこにもない。そしてその場所を、彼らがいるべき場所として、世間は認めてはくれないだろう。ならばどうするか。どうにもできない。電柱の天辺に留まるカラスのように忌み嫌われながら、世間を俯瞰することしか、彼らにはできない。でも、見下ろしているのは彼らのほうなのだ。這いずる者たちは、飛ぶすべもなく、その佇まいを見上げることしかできない。
予鈴の鳴る直前になって、日下部が登校してきた。歩幅の長さを計りながら歩いているような、無駄のない歩き方。相変わらず機械みたいだ。