透の場合-1
車内のアナウンスが駅に到着したことを伝える。
「〜○○駅、お降りのお客様は…」
…彼女は、今日も乗って来るだろうか。
透(とおる)の胸は高鳴る。
透は、26歳のサラリーマン。
苦手だった営業もようやく、そつなくこなせるようになった。
毎日毎日、同じことの繰り返し。
朝起きて、会社に行って、営業先で頭を下げて、上司にペコペコして。
大きな不満もないが、喜びもない。
…そんな色褪せた毎日に、突然光が射した。
2、3ヶ月前。
いつもの通勤電車。
…彼女の周りだけ輝いて見えた。
長い髪をアップにして、スーツをいつも恰好よく着こなしている彼女。
胸がドキドキした。
こんなことは、初めてだ。
少しきつめの目、白い肌。
赤い唇、華奢な体。
全てがツボだ。
声をかける勇気もないので、いつも遠くから眺めてるだけ。
それでも、同じ車両で同じ空間を共有しているだけで透は満足だった。
電車が止まる。
「…!」
心臓が別の生き物みたいに飛び上がった。
…彼女だ!
ドアの近くに彼女が立っていた。
今日はツイてるぞ!
あの位置だときっと近くに乗って来る。
透は何度か深く息をして心臓を落ち着かせようとした。
…無理だったが…。
ドアが開いて、乗客が乗り込む。
彼女が、後ろの乗客に押されてよろけそうになりながら乗り込んで来る。
「…あっ!」
彼女が透の胸にぶつかる恰好になった。
「す、すみません!」
初めて聞く彼女の声。
鈴を転がすような、という形容がぴったりだ。
「…いえ」
透はそれだけ言うのが精一杯だった。
彼女はどうにか体制を立て直して、透に背を向けるように立った。