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凪いだ海に落とした魔法は
【その他 官能小説】

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凪いだ海に落とした魔法は 1話-1

僕が初めて日下部沙耶のことを意識したのは、高校に入学してまだ間もない、4月のことだった。それは粗雑な出来映えをしたパノラマ模型みたいに、現実とのバランスが何処かちぐはぐとした記憶。そしてセピア加工の施された物憂げなポートレートにも似て、日下部沙耶との思い出の原点には、さまざまな感情がひっそりと眠りついている。

入学式から加速度的に日々は過ぎ去り、全てがあるべき場所に落ち着いていった頃。
初めは何だか心細げで、猜疑心の強い小動物のように恐る恐るコロニーを形成していた新入生たちも、だんだんとその枠組みの中だけでは満足できなくなってくる時期だ。高校という小国家における勢力の拡大とはつまり、交遊関係の広さ。そう考える奴もいた。携帯電話のメモリー数を勲章のように描き集め、誰かの顔と名前を覚えた分だけ強くなれる。僕の中学時代からの友達である原口もそのひとりで、彼の歩く半径5メートル以内にいる新入生全ての名前と出身地を知りたがっていた。

「あの娘だよ。クサカベサヤ。ちょっと噂になってる」

購買から教室へと向かう途中、原口が言った。次は移動教室の授業なのだろう。彼の視線を辿った先では、十人程の生徒が教科書を持ってぞろぞろと歩いていた。その風景を実際以上に華やかに演出していたのが、日下部沙耶だった。ただ歩く方向が同じだけで、友達というわけではないのだろう。彼女は独り、周りの女子生徒などまるで目に入っていない様子で歩を進めていた。

牝鹿を思わせるスリムな手足と、シルクのように光を優しく跳ね返す、長い黒髪。オホーツクの流氷を削って造られた彫像さながらに、冷たい美貌を彼女は湛えていた。その輝きは斬り付けるように眩しくて、個人的な感想を言わせてもらえば、ひどく近寄り難いような印象を僕は覚えた。

「ああ、確か同じクラスだよ。話したことはないけど」と僕は言った。(後々、僕は席替えで彼女の後ろの席に座ることになるのだが、この時はまだ知る由もない)
「知ってる。リサーチ済みだ」
「中学は?」
「西中出身」
「すごいな。まさかと思って訊いてみたけど、本当に知っているとは」僕は呆れて笑った。
「俺の情報収集能力を侮るなよ」
「お見それしました」
ふん、と原口は鼻を鳴らした。「当然だろ」とでも言うように。

日下部沙耶。彼女の存在はぺスト並みの伝染率で一年生男子の間に広まっていた。「ちょっと噂になってる」というのは大分控えめな表現だった。無差別テロのように恋の有機物質をそこかしこに撒き散らし、誰かの心の中を爆破する。僕の隣にいる“誰か”もその被爆者のひとりらしかった。

「綺麗な娘だ」と眈美な眼差しで彼女を見つめながら、彼は素直な感想を口にする。
「まあね」と僕は答えた。

綺麗な娘。それはジグソーパズルの最後の1ピースみたいにぴったりと彼女のイメージに当てはまった。それ以上でも以下でもない、綺麗な娘。多分、この年頃の女性にとっては最高位に属する第一印象だろう。
「確かに」と僕は同意したが、そのときはまだ、彼女の爆撃は免れていた。

「でも、ちょっと近寄り難い感じがするよ――ああいうの」

それが僕の正直な感想だった。自分の魅力を知っていて、周りもそれに気付いて当然だと思っているように見える。“私を好きになってもいいわよ”というアフォーダンス。もちろん僕の偏見かもしれないが。

「周りの女なんて付き人に見えるね。右がメイク担当で、左がマネージャー。両脇なんて、ありゃもうボディガードだ」原口が言った。
「なら、今のお前は無神経なマスコミってとこだな」
「言ってくれるな、志野」
一団が立ち去った後で、原口は言った。
「うん。まあ、少し言い過ぎたよな。ボディガードは流石に失礼だ。ごめん」
謝る相手を間違えてはいたが、今さらどうしようもなかった。
「行こう。授業が始まる。移動教室だから急がないと」
「そうだな」


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