凪いだ海に落とした魔法は 1話-13
「――なあ」
「んっ……ふぁに?」
「お前の夢って、何?」
場違いな問い掛けに、女は思わずくわえていた逸物から口を離して沢崎を見遣った。ぽってりとした唇から唾液が糸を引いて亀頭に繋がっている。普段ならば扇情的な絵面だが、今は何処か間抜けに見えた。
「え〜っ。何、急に?」
「夢だよ、夢。ドリーム。人生に潤いを持たせる輝かしき目標」
沢崎の言葉に、女は眉根に皺を寄せた。問いの答えを考えているのか、唐突な質問を怪訝に思っているだけなのか、端からは判別しかねる顔だった。
「う〜ん。急に言われてもわかんないよ。子供の頃は保母さんになりたかったけど」
「あ、そ。じゃあ、俺の夢を聞かせてやろうか。ロマン溢れる俺の夢を」
「聞かせて聞かせてっ」
取り敢えず乗ってみることにしたのだろう。女は作為的に顔を綻ばせ、媚びた笑みを顔に作った。
「バイクを買う。そいつに乗って、何処か遠くの知らない場所に行くんだ。産まれて初めて走る道を辿って、俺のことを誰も知らない街に行く。渡り鳥みたいにな」
さながら唄を諳じる抑揚で熱っぽく語る沢崎を、彼女は真っ青な人参を差し出されたウサギのような目で眺めていた。認識から承認まで、タイムラグがあるらしい。
「ああ――、バイク?」
「そうそう。できれば400のがいい」
「ふ〜ん」
「いや、ふ〜ん、じゃなくてさ、何か感想は?」
女ははぐらかすような愛想笑いを頬に張り付かせ、人差し指で逸物の裏筋をツッーと撫で上げた。
「拓也くんにも歳相応っていうか、意外と子供っぽいところもあるんだね。ふふっ、"何処か遠くの知らない場所"だってさあ」
からかうようなその口調に、沢崎の眼はフッと光を失い、井戸の底を思わせる異様な暗さを帯び始めた。女はその変化に気付かず、指先で彼のペニスを弄ぶ。もうこの話は終わったとでも思ったのか、やがてそれをくわえようと婬美に口を開いた。
「――あのさ。"お掃除"は別にしなくていいからさ、あんた、もう帰ってくんねえ」
舌の先にドライアイスを乗せたような冷淡な語気を、ぽかんと馬鹿面を下げた女の耳に突き刺した。
「――え?」
「聞こえてたでしょ。時計見なよ。俺、もう眠くなってきたからさ」
吐き棄てるような口調は、もう女の機嫌などどうでもいいと、そう告げていた。曝け出された彼の無関心さが、先程までの甘い一時を嘲笑うかの如く女の意識を打ち据える。
「な、何よ急に。怒ったの?」
「いや、ていうか、もう事は済んだじゃない。誰も泊まっていいなんて言ってないしな」
「ちょ――ちょっと待ってよ。意味わかんない。いきなり滅茶苦茶なこと――」
ああ、やっぱり面倒なことになったな、と沢崎は嘆息した。充分に優しくしてやったじゃないか。もう俺の厚意は品切れなのだ。これ以上を御所望なら他の男を当たって欲しい。お前に執着など微塵もないのだから。煙草を灰皿で揉み消し、沢崎は体を起こした。