『朱の桜』-5
「……………瑞咲」
海は俯いたまま、去りかける彼を呼び止めた。
「オレはどうすればいい……………?」
ひどく憂いに満ちた声に、瑞咲は振り返った。
そして彼は、海の頭を軽く撫でた。
「そりゃ、完璧前みたいに跳べなくても、ある程度跳べる様には治せるんだからさ」
柔らかい口調で喋る瑞咲の言葉に、オレは黙って頷いた。
「どうにかこっちで頑張ってるうちに、小松本も目ぇ覚ますだろ」
「……………うん」
ソラ……………早く意識を取り戻して欲しい。
最近、自分の中で何かが壊れていく感覚がするのだ。
アイツがいないだけで……………オレの視界だけ闇に包まれていく様に感じる。
「今度は葛饅頭でも持ってくるからさ」
瑞咲は海の紫を帯びた短い黒髪を柔らかく梳いた。
そしてオレの変わりに明るく笑ってそう告げると、歩き始めた。
手を振るその姿が、病院から遠離っていく。
オレも病室に帰ろうと歩き始めた。
その間、瑞咲の言葉に縋りながら、オレは僅かな望みをかけようと思った。
エレベーターで上まで上がり、廊下を歩いて病室に入ろうとした時だった。
ふと、視界に東端のソラの病室が入り込む。
扉は開いている様で、誰かが来ているみたいだ。
大方、ソラの母親か弟だろうと思い、挨拶でもしようかと病室に近付いた。
「……っそだ、兄ちゃんは……………」
「………迅汰」
迅汰の声が聞こえる。
そして、彼を宥める様な母親の声。
その切羽詰まった雰囲気に、オレは足を止めた。
「植物状態は覚悟した方がいいでしょう」
続いて中年の医師の声が聞こえてきた。
頭の中で反響するその台詞を、即座に理解出来なかった。
「迅汰ッ」
母親の声と共に、迅汰が病室から飛び出した。
棒立ちになっていたオレにぶつかりながらも、走っていく。
どういう事だ?
それってソラは……………。
考えた途端、背筋に冷たいものが走る。
オレは強い衝撃に打ちひしがれたまま、弱々しい足取りで自分の病室へと引き返していた。
その日の晩は、眠れなかった。
ソラはもう目覚める見込みは薄い事を知った。
イヤ、もうないのだろう。そう思った。
ただ単に、そんな理由。
オレは暗闇の中、ベッドから這い出て部屋の戸をそっと開けた。
廊下の空気はひんやりと冷たく、非常灯の緑色の光が辺りをほんのり照らしている。
海は裸足のままふらふらと廊下を東端の方へ歩き始めた。
右足を引きずる足取りは危うく、目は虚ろだった。
やがて辿り着いた扉をそっと開け放ち、海は部屋の中に入った。
こんな夜中に辿り着いたのは、ソラの病室。
真っ暗な部屋は、規則的に鳴る冷たい電子音と、静かな機械の起動音しかしない。