第二話〔続〕――密偵と王女と女装少年-1
「くっく……高いメシに高い酒、高いベッドに高いオベべ…………。さすがは大陸有数の貿易都市のテッペンってか?」
聖獣八ヶ国『ペガスス王国』随一の交易都市アッセンデル。その南端に聳える古城『デルダン』のバルコニーから酒瓶を片手に、襟に黄テンの毛皮があしらわれた外套を羽織る男が眼下に広がる、夜にもかかわらず未だ明るい町並みを眺めていた。
実った小麦を連想させる黄金色の顎髭と頭髪を持った五十過ぎの男である。シワだらけの顔に、陰険そうな目つきと細長い顔が内なる尊大さと傲慢さを発散させていた。まるでこの城の城主のような風体である。
しかし、その声は実に若いモノであった。
彼の名はケネス。家名なぞはないし、第一、この名は偽名だ。これまで幾つもの名を冠してきたために、本当の名前がどれだったかは、とうに忘れてしまった。
だが、ここ数年は『ケネス』で統一していた。
ここ数年――あの面倒ながらも、共にいると楽しい上司、『魔人』パスクと出会ってからだったから、もう八年になるのか。
ケネスは「くはっ」と独り吹きだすと瓶の口を己の下唇に付け、傾けた。
ネズの実の蒸留酒だ。土色の陶器に収められたソレはこの城の酒蔵にあるモノの中で一番安いモノだったが、それでも市井ならば十日は遊んで暮らせる値段だ。
「さぁ〜て……」
ケネスは袖で口元を拭うと屋内へと戻った。
ここ数日は忙しかった。それこそ、自分が実は歌劇の登場人物なんでは、と疑いたくなるほどだ。役柄は……なんだろう?
ゴルドキウス帝国アムシエル砦からの脱出、ようやく国境を抜けたと思えば今度はペガスス軍との悶着。
我が上司――『魔人』にして『聖人』のパスク殿がいなければ、きっとこんなことは起きなかっただろう。そう、今回の騒動、すべてがだ。
まぁ、なんやかんやあったが、今のところは良い感じできているんじゃないかとケネスは思っている。
他は知らないが、少なくともパスクはそう思っていることだろう。
屋根があり、凍えることもなく、餓えることもなく、枕元にナイフを置かなくても安心して寝ることのできる環境――そのうえ、上司殿には最愛の女性までいるのだから、なおのことだ。これ以上の幸福はない。
その上司もいまはその最愛の女騎士アリスと部屋に引きこもっている。
同僚(?)の『早波』小隊の連中も、ジーンは城の畔を流れるサーラ川の水流を肴に杯を傾けているし、パトリシアはそんな黒騎士殿に付き纏っている。
ゲルハルトは……置いておこう。傍から見たらどうかは分からないが、少なくとも本人はあの『丹色の銀星』の玩具になっているのに満足しているんだから、とやかく言うことでもない。