昏い森ー黄昏A-3
*
闇が潜む森に、夜がくる。
好きなんて言葉を軽々しく使いたくはないけれど、ある人物を思い浮かべると途端に溢れ出すから不思議だ。
だけど、黄昏の心を占める相手から甘い言葉がつむがれることはなかった。
黄昏を射る瞳は澄んだ湖のように深く蒼い。
泰然とした態度と世界の深淵を覗いたような英知を秘めた表情は老人にも、黄昏よりも年若くもみえる。
「贄など興味はない。お前なんか、どうなろうが知らない」
冷笑を湛えて、月読は黄昏を突き放す。
だけど。
あたしに触れる指が優しいのは何故―?
口付けが甘いのは、何故?
刹那に溢す、あの微笑は誰に向けたものなの?
心臓をきつく縛られたような痛みを感じながら、黄昏は出口のない闇をさ迷うように答えのない問題に頭を抱える。
この世で一番の賢者と自称する妖の真意を誰が知り得よう。
口惜しくて、苦しくて、閨で戯れた後、黄昏は言うのだ。
「…月読の馬鹿」
月読は片眉を跳ねて、繁々と黄昏を覗き込む。
「俺はまだ自分が愚かだと分かっているから、賢いのさ」
黄昏の黒々と美しい髪の毛を弄びながら、月読は愉快そうに言う。
「月読なんて、嫌い」
思わず真逆のことを溢したら、胸の奥底がしくしくと傷んで、黄昏はその重症さに自分のことながら、少し呆れる。
「嘘つきだな、小娘」
溶けそうなほど滑らかで白い黄昏の身体を抱き寄せて、妖はまた一層声高に笑った。
言葉が欲しいわけじゃない。
月読の本当の気持ちが、知りたい。
だけど、妖の腕の中で、この温もりより確かなものはないかも知れないと黄昏は思った。