第一話 ―― 魔人と魔獣と魔導騎士-30
「――出発しなさいっ!」
猫の魔獣が声を張った。
「だ、だが、パスクがまだ――」
「ちゃんと、脱出用に馬を置いてきている。予備も含めて三頭もね!」
「…………。しかしっ――」
「いいから、出しなさいよ!大丈夫だからっ!それとも――ここで揃って心中する!?」
「しんじゅ…………くぅ」
アリスは小さく呻き声を上げる。
馬車にはすでに、親衛隊の面々とエレナが全員乗車した。
ジーン、ゲルハルト、パトリシアもそれぞれ、馬に跨り、馬車の横に追従している。
そして、城門に下ろされていた鉄柵もパトリシアの『腐食』の魔法とゲルハルトの『氷鎚』の魔法で破壊されていた。
なのに、アリスが出立を渋り、パンと言い争っているかといえば、簡単だ。
パスクだけが、脱出の用意をしていないのである。
だが、彼の側で長年、戦ってきたであろうパンやジーンも問題にしていないため、最終的にはその判断に従うしかなかった。
「……いいのか、アリス?」
アリスの乗った馬車の御車はなんと、親衛隊隊長のマデリーンが務めていた。
本人曰く、一度、御車というものをやってみたかったそうだ。
そんな褐色肌の上司に尋ねられたアリスは渋々と頷いた。
――なんといっても、この馬車には主君エレナも乗っているのだ。
この砦を出れば、半日と待たずペガスス王国との国境なのである。
自分の独断で危険に合わせるわけにはいかない。
マデリーンはアリスのそんな心情も把握しているのだろう、「きっと、大丈夫だ。なにせ、我々を負かしたのだからな?」と励ましてくれた。
そして、馬に鞭を入れる。
二頭の馬は、一声鳴くと前進しようと踏ん張り、馬車はゆっくりと進みだした。
除々に加速する馬車の後方の幌からアリスは顔を出し、進行方向とは反対――砦の広間へと目を向ける。
パスクの纏う紺色のローブと、振るう捻れた長杖が目に入った。
だが、その像もだんだんと小さくなり、やがて、砦の城門すらも豆粒ほどの大きさになった。