「タワー」-9
誰も見ちゃいないなら、何をしたっていいだろう?
彼は笑う。
ぼくは夜景を見据えた。
それは命の束、汗の結晶、知恵の輝き。
不意に、その光が眼の中で滲んだ。
幾つも涙が後から溢れた。
怖い。素直にそう思った。
この輝きの一部になれないのなら、ぼくがいつまでも変わらないのなら。
ぼくはどうすればいいんだろう?
その色はあまりに美しい。
その輝きはあまりに美しい。
ぼくの存在は霞んでしまう。
誰も気付いてくれないのか?
誰も見てくれないのか?
ぼくがここで居なくなっても、誰も知ってくれないのか?
この景色に滲んで溶けて。ぼくは、消えた後、何処に行くんだ?
涙は止まらない。カッターを持ったまま、ぼくはダッフルコートの袖口で涙を拭い続けた。
何もかもが苦しかった。何もかも放り出したかった。その為にここに来た。
けれど、それでも怖くなった。
手放す寸前に、それを嫌だと思う自分が居た。その感情は思った以上に大きかった。大きすぎたから、目から溢れ出た。
自分が触れる事をしなかった。触れる事を恐れていた。心の中心の粘ついた泉の底にある一部分。それに触れて、何もかもを失いたくない自分がいる事に気付いた。
涙は混乱だった。失う為に此処に来たのに、失う前に怖くなるなんて思いもしなかった。
涙の隙間に、ぼくは彼を見た。
彼は、笑っていた。
それでいい。
彼の口元がそう動いた。頭がカッとなるのが分かった。
いいわけないだろう。ぼくは呟いた。
どうすればいいんだよ!? 知らぬ間に、叫んでいた
ちゃんと現実を受け入れて! それが逃げだというのなら、ぼくはどう生きればいいんだ!? お前にまで・・・。
ぼくは枯れる喉を振り絞った。
世界に拒絶されて! なのにお前には肯定されて! ぼくにどうしろっていうんだ!?
彼はぼくに微笑んだ。そんな表情はやめて欲しかった。
それはぼくの微笑みである事が分かった。彼はぼくだ。彼がそんな表情が出来るのなら、ぼくにもまだそんな表情が出来る事になってしまう。彼はぼくだ。
まだ此処に居たいか?
彼は問う。
このタワーに?
ぼくは言う。
違う。彼は両手を広げる。
この世界にだ。
再び景色が滲んだ。涙が零れた。袖口で目を覆った。