「タワー」-8
*
誰も気付かない?
ポッケのカッターを握ったまま、ぼくは彼に問う。
そうさ。
彼は夜景を見ながら言う。
だって、父さんがいる。母さんがいる。妹だっているし、じいちゃんだっているじゃないか。
ぼくは彼に反論する。
そうだな。
彼は手を後ろに組んで、尚もぼくに目を向けず、夜景を見ながら言う。
でもなあ。
彼はぼくに目を向ける。
お前を振り返れ、お前は今までちゃんと生きてきたか? お前はたかだか十何年生きた位で人生の全てを悟った気になっていた。自分の人生には起伏が無い、大きな喜びも、大きな悲しみもない。諦観して、傍観していただけだ。お前はいつもどこかで手を抜いていたんだよ。全部悟った気になってな。
返す言葉が見つからなくて、ぼくは立ち呆けた。
彼は言葉を続けた。
人間は敏感だ。お前がそういう考えを持って、どこかで手を抜いている事をやはりどこかで気付いていた。友達も、近しい人間ならもっとな。父さん、母さん、妹、じいちゃん。みんな気付いていたさ。
彼はぼくの目を見て笑う。
そんなふざけた人間が消えて、いつまでも気にするか? 違うな。確かに悲しみはするだろう、後々の人生に影響もあるかもしれない、けれど、それだけだ。お前の消失が誰かの根本に影響を与える事は無い。当たり前だけど、お前を知らない人間にもな。例えば、お前が消失した後、このタワーにお前の家族が来たとしよう。ちょうどこれ位の時間に。その時、この景色を見て、一瞬でもお前の事を忘れないと言い切れるか? お前の存在を忘れて、この夜景を綺麗だと、言わない自信があるか?
ぼくは途方にくれた。喚く事も叫ぶ事も出来ず、ただ彼の言葉がぼくの中に入ってくるのを感じていた。
そうさ。彼はぼくに再び笑いかける。
それは、誰も気付かないのと同じだ。誰もお前の事を見ていないのと同じだ。なあ、素直になれよ。絶望を受け止めた時のように。絶望に対して喚いたり嘆いたりするより受け止めた方が楽だからお前は素直に受け取ったんだろう?なあ?
彼はぼくのポケットの中身を指差す。
誰も見ちゃいないなら・・・。
ぼくはぽっけからカッターを取り出した。
つまみを押し上げ、刃を出した。
鈍く輝くそれを見つめると、夜景の光とぼくの顔が微かに映っていた。