「タワー」-4
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見上げた目の中に、赤や白、オレンジの電飾。
見上げても見上げきれないというのは、こんな感じの事を言うのだろう。
大きかった、光る電飾は確かに美しいような気がした。
けれど、それにちっとも心が揺り動かされないのは、きっと今のぼくに何かが欠けているからだろう。或いは、そこにちゃんとありはするけれど、機能を果たしていないのか。
東京タワー。
それがこの塔の名前だ。
高さは333メートル。現在、日本で二番目に高い塔。
確かそんな事を昔どこかで呼んだ気がする。
着ていたダッフルコートの袖口を捲くり、腕時計を見ようとして、ぼくは苦笑した。
予備校時代の時間を気にする癖が残っているのだ。
腕から時計を外し、辺りに誰もいない事を確認してから、ぼくは直ぐ傍に在った植え込みに時計を軽く放って捨てた。
どうせ塔内に時計はあるだろうし、都心にはあちこちに時間を示すものが溢れている。
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自分が浪人を経験する事になるなんて、思いもしなかった。
それまでぼくは心のどこかで自分は挫折を経験することが無い人種なんだろうと思っていた。
それは別に自惚れていた訳ではなく、単に自分の人生には起伏があまり無いのだろうと思っていただけだ。
大きな挫折も無ければ、大きな成功も無い。そう思っていた。
それで良かった。ノーベル賞も、MVPも、金メダルも、一切無くてもぼくはなんら困らなかった。そういう自信が確かにあった。
努力をしてもそれは努力をした分の成果でしかなくて、努力以上の成果を上げられた事は無かった。
事実、ぼくは凡才だった。
例えば、小学校のテストは大抵百点だったけれど、それをとれたのは他のみんなも百点をとれるような、簡単なもの限定だった。中学に上がれば、大抵は平均点の十点くらい上をうろうろしていた、中の上か、それ以下くらいだろう。高校も大体それと同じ。
本当に。とぼくはため息をついてしまう。
本当に、起伏の無い、つまらない人生だ。と。
人生というのはその人物の足跡であり、生き様だ。
そしてそれはその人の性格に、勿論大きく影響する。
単純なぼくはその人生にならい、キャンバスに一つの色のみで描かれた絵のような、感情に大きな起伏の無い性格になった。滅多な事でショックを受けなかった。
だから、自分が大学の試験に落ちた時、ぼくの中にあったのはショックではなくて驚きだった。
志望校への勉強はそれなりにした、だったらまたその努力分の成果が返ってくるのだろう。今までもそうだった。その程度だ、ぼくの人生なんて。
そう思っていたぼくは、不合格というその事実にまず驚いた。自分にもこんな人生の起伏が用意されていたのか、と。