恋を知りたい-5
「---はぁっ…はあ…。」
息を切らして顔を上げると、無機質な色の扉に圧倒された。
なぜだか、つい来てしまった数学準備室の前で、私は息を整える。
…扉が、少し開いていた。
その細い空間に不安を覚えて、思わずそっと覗いた。
すぐに目に入った、後ろ向きの高橋先生のシルエット。
電話をしていた。
備えつけの業務用の電話ではなく、携帯電話で…。
私は隙間の端に消えてしまいそうになる先生を、必死に追いかける。
距離が遠くて、何を話しているのかよく聞き取れなかった。
断片的に、『仕事中に』とか、『過去のこと』という単語が聞こえた。
困ったように窓枠に手を付きこちらを向いた先生の表情に、目を開く。
険しい表情。
普段のどこか無気力な表情とは違う、余裕のない色。
私の知らない、先生じゃない顔。
…あぁ、あの顔、前にも見たことがある。
そういえば、あの時も先生は電話をしていた…----
「菜美子…!」
どくん、と心臓の音が響いた気がした。
やけにはっきり耳に届いた声。
先生の口から出た、知らない名前。
女の人の、名前。
どきどき。
どきどき。
心臓は全然ゆっくりになってくれなくて、いつものんびり動いているのが嘘みたいにどんどん早くなる。
呼び捨てだからとかそういうことじゃなくて、先生の声で、特別な人だって分かった。
分かってしまう程に、深く深く染み込む先生の声に戸惑った。
制服シャツの裾をぎゅっと掴んで、下唇を噛む。
…私がここに来たって、どうにもならないのに。
分かってたつもりだったのになぁ…。
視界がぼやけるのを感じて、慌てて目を開いて上を向く。
うん、大丈夫、まだきっと大丈夫---…