熊次郎の短夏-1
じりじりと、地面を焦がす真夏の太陽―――。
その日差しが、くたびれた一人の老人へも容赦ない熱を浴びせつづける。
熊次郎は、唯一その熱を和らげてくれている麦原帽子を頭から取ると、首に巻いてあるタオルでごしごしと顔の汗を拭いた。
「はああっ……暑かな〜、もう今日は終わりにするか」
小さな畑とはいえ、猛暑の中の作業は齢75歳の身体には辛すぎる。
ただでさえ腰痛が悪化しているのに、上からだけではなく下からもムワッとした熱が立ち昇ってくるのだから堪らない。
日射病にならぬよう、ときおり持参した塩を舐めては水もたっぷりと補給していたが、それはすぐに汗となって真っ黒に焼けた肌の上を流れていった。
小さく息を切らしながら、家へと続いているジャリ道をゆっくら、ゆっくら、と歩く熊次郎。
帰りつくや否や真っ先に庭先へ行き、そこにある蛇口を思いっきり捻って頭から水をかぶった。
「はああ……ちったァ生き返ったばい……」
ブルン、ブルン、と頭を左右に振り、濡れた髪から軽く水を振り払う。
どうせすぐに乾くのだから、別にタオルで拭く必要もない。
熊次郎は、空に向かってフウウッと息を吹き掛けてからのっそりと縁側へ腰を下ろした。
手に持っていた麦原帽子を横へ置き、今度は太陽を見ながらフウウッとまた一つ大きな溜息を吐く。
「あら、もう帰ってきたんね?」
奥の部屋から姿を現してきた妻の絹江が、少々驚いたように言った。
「珍しかね〜、じいさんがこんなに早く上がってくるて。まあね〜、あんたも歳だけん、年々体力が落ちていきよっとだろうねェ……ばってん、自分でちゃんと身体ば気遣いよるけん、無理はせんけん、その点は安心しとるけどね」
背後から掛けてくる絹江の言葉に何ら答えず、熊次郎は眼を細めたまま黙って前を見つめていた。
「ほんにじいさんは……あいかわらず無口なァ。たま〜にしか顔ば合わせんとだけん、ちょっとでも話しかけてくれたら本当に嬉しかとに……」
なおも口を開こうとしない熊次郎。
二人のあいだ暫しの沈黙がつづく。
そのうち熊次郎は無言で腰を上げ、みたび溜息をついてから玄関口へと向かっていった。
「やれやれ……まあ良かか。こんな期待しても……ふう……こればっかりは、しょうがなかもんねェ」
諦めたように呟きながら、寂しそうな顔で夫の後姿を見つめる絹江。
その眼には、哀切と愛情の両方が滲んでいた。
よっこらせっ、と声を出し、熊次郎は痛む腰を手で擦りながら家の中へ入った。
そして、おもむろに台所へ行き、冷や飯と梅干、それに麦茶をテーブルの上へ置いてから静かに椅子へ腰かけた。
「なんね、また梅干ごはんね? 畑にも庭にも夏野菜がいっぱい出来とっとやけん、野菜もしっかり食べんと」
昨日から梅干とご飯しか食べていない夫に、絹江が心配そうに言う。
その言葉が効いたのかどうかは分からないが、熊次郎はいったん箸で掴んだ梅干を元の器に戻し、ムクッと立ち上がってから部屋を出ていった。
そして、庭先でも栽培しているキュウリを二本だけちぎってから、すぐにまた台所へと戻ってきた。