熊次郎の短夏-2
「あら、キュウリしか持ってこんかったんね? ナスとかも持ってくれば良かったのに……まあ良か、とにかく野菜ば食べてくれるなら、それで良か」
自分の言ったことを素直に聞いてくれたダンマリ熊次郎に、絹江がニコッとほほ笑む。
そんな絹江の前で、熊次郎は採りたてのキュウリを水でささっと洗い、それに塩をふってから食べはじめた。
新鮮ならではの刺々しさも何のその。
口をあんぐり開けてキュウリを咥え、ポキンッと小気味よい音を立ててからシャクシャクと噛み砕いていく。
折れた断面からプツプツと水の玉を浮かばせてくる瑞々しいキュウリ。
そこへ再度塩を振り、三センチほど口の中へ入れてポキンッと折る。
自分で育てた野菜を何とも美味そうに食う夫に、絹江は満面の笑みを向けた。
熊次郎のことが好きで好きで堪らない絹江が、にんまり顔でズイッとテーブルの上に身を乗り出し、もう鼻と鼻とがくっつかんばかりにまで近づいていく。
「んっ? んんっ……?」
口いっぱいにキュウリを頬張りながら、軽く天井を見やる熊次郎。
「あ〜、じいさんったら……うふふ、年甲斐もなく照れとっとね?」
絹江が意地悪そうに言い、さらに顔を寄せていく。
「んっ、んっ……んんっ!」
喉につっかえそうになったキュウリを声の振動で落としながら、熊次郎はムズムズする鼻の頭をゴシゴシと指先で擦った。
蚊帳の中、パンツ一丁でがあがあとイビキをかいている熊次郎を見て絹江はクスッと笑った。
お月さまが奇麗だ。
縁側に腰をかけ、絹江はひとり遠くの夜空を見ていた。
じいさん、じいさんと出会えたのは奇跡だったかもしれんねェ。
田舎から初めて都会へ出てきて、最初に言葉を交わしたのが私って言いよったもんね。
『ちょ、ちょ、ちょっと良かですか?』
『えっ、私?』
『は、はい。あの〜、この紙に書いてある所ばってん……ここへはどうやって行けばよかっでしょう?』
『ああ、ここだったら先の信号を右に曲がって、それから〜』
『すんませんッ! よかなら、よかなら案内ばしてもらえんでしょうか? お願いしますッ』
あん時は人のいっぱいおる中、いきなり土下座するもんだけんビックリしたよ。
あの出会いがなかったら一緒にはなっとらんだったろうね……。
ふふっ、でも本当の奇跡はその後からだったねェ。