完・嘆息の時-2
堅実な妻の心を乱しうる存在……柳原には一つだけ思い当たる伏しがあった。
同窓会だ。
三ヶ月前に送られてきた同窓会の案内ハガキ。
「面倒くさいから行かない」と言った妻を、「たまには家庭のことを忘れて楽しんでこいよ」と送り出した柳原。
よくよく思い返してみると、妻の変化はまさに同窓会後からだった。
ふところの広さを見せようとしただけのことだったが、結果的にそれが仇になってしまったのかもしれない。
日に日に募っていく不安感―--柳原はとうとう堪えきれなくなり、結婚披露宴の際に作った席次表を取り出し、妻と仲の良かった女性の名前を調べた。
そして、電話番号も調べるや否や、妻に内緒でこっそりと電話をかけてしまった。
『僕から電話があったってことは、くれぐれも内緒にしといてください……』
最後にそう言い、大きな溜息とともに電話を切った。
電話を切ってすぐに、後悔の念が柳原の心を蝕んだ。
十年ぶりに会った級友たち―――意外と参加者が多く、ずいぶん盛り上がったらしい。
そこには妻の初恋相手も来ていたらしく、お互い照れながらも大人の会話を弾ませていたという。
電話の相手、優子さんが言うには、神山とかいう初恋の男性と話をしているときの妻の顔には、憧憬の想いがハッキリと表れていたそうだ。
『やけぼっくいに火か……』
浮気するまでには至っていないだろうと思いつつも、妻の堅実さを過信しすぎた自分に腹が立ってしょうがなかった。
空の一点だけをジッと見つめていた柳原が、不意に鼻でフッと笑う。
「まあ、そりゃあそうだな。母親とはいえ、アイツはまだ二十五歳の女。一生心の中までも夫だけにしとけなんて、それはあまりにも残酷すぎる。しかし、しかしなあ……初恋の男ってのは……ちと危険だな。うん、危険だ。アイツ、場の雰囲気に流されちゃうところがあるからなあ……もし相手の男が女慣れしてるような奴だったら……ああ、いかんいかん!」
柳原は、浮かんでくる不埒な妄想に激しく頭を振った。
そして、ガバッと身体を跳ね起こし、滑り台のところで同じ年端の子供らと楽しそうに遊んでいる我が娘に向け、大きく手を振りながら声を張り上げた。
「なあに〜?」
「もうお昼だからさ、ここでパパと一緒にご飯食べよっか」
「うんっ、食べるっ!」
「はい、じゃあこれで手を拭いてキレイキレイしてね。今日のご飯はね、カレンちゃんが大好きな物をいっぱい詰めてみました」
柳原の言葉に、ワクワクしながら弁当のふたを開ける娘。
「わああ〜、オバケだあ〜!」
「えっ? あ、これオバケじゃないよ。ほら、ここに黒いシマシマがあるでしょう? それにお髭だってついてるし」
「こわいね〜、ガオオッて来るよ〜! これ、食べられるかな〜?」
「い、いや、カレンちゃん、よーく見てごらん。これさ、シマジロウじゃない?」
「あっ、これ、パパと一緒に食べてやっつけようっか!」
「あ、ああ、うん、そうだね。よし、パパと一緒に食べて、オバケをやっつけるぞ〜!」
「おおっ〜!」
娘の素直な言葉に苦笑いしながらも、どこか救われるその純朴さ。
くったくのない娘の笑顔は、柳原にとっていつも物凄い力と勇気を与えてくれた。