湿気-4
「…そんなもん買うくらいなら、新しい服欲しいなとか思ったり」
「うんうん」
「どうせ七輪に練炭やるなら、肉焼きてぇって」
「ぷっ」
「笑うなよ」
「ごめんごめん、で、話の続きは?」
「…人生最大のピンチの時にどこか呑気な自分がムカついて」
頭を抱えるようにしていた腕は上の方にゆっくり移動して、つむじの辺りをポンポンと撫でる。
「月並みな言葉だけどさ、神様がまだ死ぬなって言ってんのよ」
「月並みねぇ…」
「何で今が人生最大のピンチ?」
人生最大のピンチの原因が、シレッとそんな事を言う。
「お前には言わん」
言えるわけない。
お前が結婚するせいだ、なんて。
「じゃあ違う質問する。今の仕事好き?」
「全然」
「良かった」
「良かった?」
「あたしの働いてるとこ、正社員募集してんの」
「へー」
「一緒に働かない?」
「…は!?」
突然の申し出に驚いて、くっついていた体を離した。
「スイミングスクールの先生。プールも子供も好きでしょ?」
「………何で」
「何で?」
「彼氏にプロポーズされたんだろ!?なのに何で」
問詰めると、晴陽はキョトンとした表情で答えた。
「彼氏なんかいないよ」
「へ」
「あたし、彼氏いるなんて言った?」
「…言ってない」
「だよね、いないもん」
「でもプロポーズ…」
「されたよ。でも断った」
「はぁっ?」
「だって、たった数回ご飯食べただけの人と結婚なんかできないでしょ」
「じゃあ何で俺に言うの?」
「別に、言っただけだよ」
言っただけ?
そのセリフのせいでこっちは自殺未遂にまで追い込まれたのに―――
脱力感いっぱい。
深い深いため息と共にその場にうずくまった。
「あたし達、学生の時毎日遊んでたよね」
「あぁ」
「あたし達、びっくりするくらい思考回路が同じじゃない?」
「だな」
「だから今も同じ事考えてると思う」
同じ事?
今も前もずっと考えてる事は一つだぞ。
それと同じ事って――…
「あたし、メールと電話だけじゃ嫌なの」
「…」
「側にいてほしい」
その瞬間、確かに俺の全身を覆っていた湿気が抜けていくのを感じた。
じっとりとまとわりついて拭えなかった俺を支配する負の空気は、好きな子がくれたたった一言のおかげでカラリと晴れた夏の青空みたいになってしまった。