【イムラヴァ:二部】二章:鐘の音-9
「もちろん、長居はしないよ。目的地はユータルスなんだから」
「それで、いつか帰るの?ロイドとは、これっきり別れるの?」アラスデアはアランの顔をのぞき込んだ。アランの両手がやっとまわるくらいの大きな頭が、アランの顔とそう変わらない高さにある。彼女は心配するなと言うように彼ののど元を撫でた。
「いや、ユータルスに何も問題がないようだったら、誰にも会わずに帰ってくるよ」自分でも、そうできると思っていることが驚きだった。長い間暮らした土地と、顔なじみ達。一目でも見たら、懐かしさがこみ上げて二度と旅になど出ることが出来なくなるのではないかと思ったのだが。今は懐かしさよりも、不安の方が勝っている。
「ユータルスが無くなるもんか」アランは、自分に向かって言った。「絶対に無くならない」その口調にこもった自身を裏付けるものは、何処にもなかった。
テネンナムは、ユータルスからシプリーの領地の間でもっとも大きな街だが、トルヘア全体を通して見ればさほど大きな街というわけではない。テネンナムよりも大きな街はいくらもある。もしテネンナムが、国中をつなぐ交通網の要所になかったら、都会に住んでいる者がテネンナムの名前を聞くことも無かっただろう。テネンナムはトルヘア第二の港(最大の港はカルディフである)、ヘンリントンに続く運河が通っており、内陸から海へ、海から内陸へとやりとりされる様々な品物が、川底に溜まる砂金のように集まっていた。
今まで田舎暮らしと、森での生活しか体験してこなかったアランは、この賑やかさに面食らった。
何処に行ってもそうだが、街に入るには、その街を囲む壁の門から中に入らなくてはならない。門には門衛が立ち、商人や旅行者の顔の上、また彼らが引く手押し車の中に、厄介ごとや面倒の種が隠れていないかしっかりと目をこらすのだ。とは言えアランから見れば、門衛達はその仕事に満足しているわけではなさそうだった。右に立っている男は、門から街道に伸びる長蛇の列をわざと目に入れまいとしているかのように、しかつめらしい顔をしてじっと前方を見据えているし、左の門番は、しきりに欠伸を拳で殺していた。アランが見ている間に、4回ほど大口を開けて欠伸をしていた。
のろのろと進む列の中にあって、アランは再びフードに手をやった。自分の顔が、化け物を連れた異端者として兵隊達に覚えられてしまっている心配はまず無い。だってあれはもう一年も前の話だし、つたない人相書きを覚えたところで何の役にも立たない。榛色の髪と目をした人間はいくらでも居る。呼び止められて、名前をぴたりと言い当てられて、異端の罪で捕まるなんて心配は無いだろうと思われた。それでも、出来るだけ人目につかないように、肩をすぼめて、うつむき加減で歩いてしまう。前にいた商人らしき男が、ため息をついた。
「やれやれ、やっと着いた」
彼は大きな荷馬車に乗っていたが、額にはうっすら汗を掻いている。今日はやけに蒸し暑い日だった。
遅々として進まないように思えた、入街の順番がついに回ってきた。荷馬車の男の視線を追ってアランも顔を上げると、テネンナムを納める領主の、輝かしい紋章が門の上に掲げてあるのが目に入った。それから、分厚い壁の内部を通り、再び日光が顔に刺すと――ようこそテネンナム、驚嘆の街へ。
列が進まなかったのは、アランのように、街の賑やかな様子を目にしてつい立ち止まる人間ばかりだったからかも知れない。まず、まだ昼だというのにどこかから楽の音が聞こえてくるのだ。酒場とおぼしき店の中には人があふれ、胸元がぐいっと開けた、派手な色のドレスを着た娼婦が、男達の膝の上で艶めかしい笑い声を上げている。昼夜が逆転したみたいだ。めまいにふらつくアランの横を大きな荷馬車が通った。段差にはまった車輪が泥を跳ね上げて走り去る。自分の片足が泥で汚れたことに気づく前に「ぼーっとつっ立ってんじゃないよ!」と、見知らぬ女に肩をつつかれてつんのめった。