【イムラヴァ:二部】二章:鐘の音-7
きっと、ハーディは大泣きするだろう。暗闇の中で荷造りを終えた時、アランは思った。でも、ちゃんと手紙を残した。これが永遠の別れではないことは、彼もきっと分かってくれるはずだ。でもグリーアにだけは話せない。彼を失望させてしまうのはわかっていたから。
ユータルスに行くことを思いついてから、彼女は慎重に行動した。急に荷物が増えたのを悟られないために、少しずつ準備をした。薬草に、干し肉に、日持ちのする果物。この間研いでもらったばかりの剣に、短剣。いくらかのお金と、包帯代わりに使える柔らかい布。それに、かなりの金を出して古道具屋で買ったコンパス。その隣で売っていた中古のフィドルもついでに買って、ブルックスの鞍袋の中に入れ、ハーディに残していくことにした。
みんな寝静まっている。今、火の番をしているのはロイドのはずだったが、炎の光が届く範囲には居ない。きっと、用を足しに出かけたのだろう。アランは外套をしっかりと体に巻き付け、ブルックスの所へ行った。
「しばらくの間お別れだ。みんなの言うことを、ちゃんと聞くんだよ」アランは、美しい馬の鼻面をそっと撫でた。
「馬にしか告げられぬ別れなのか?」すぐ後から声がして、アランは慌てて振り返った。
「ごめんなさい、ロイド。私は――」叱責を覚悟して肩をすぼめたが、ロイドはその手を優しく彼女の肩に置いた。アランはロイドの顔を見上げた。「私は……」ユータルスのことが心配で、と言おうとした。けれど、彼女の心の奥にある恐れを、ロイドは知っているはずだ。王にはなりたくない。その気持ちは、何を言ったところでごまかすことは出来ない。
「何を恐れておるのじゃ」彼は聞いた。
「わかりません」アランは素直に答えた。「多分、恐れることが多すぎるんです。私にはその理由がある」
「理由、とな?」ロイドに促されて、アランはたき火の側に腰を下ろした。
「たくさんあります。エレンの民の希望の星に、もし私がなったとしても……きっと失望させてしまう。私はみんなを守れるほど強くない。清廉でも、勇敢でもない。私より他に、王に向いている人がきっといます」
「気に病むのも、よくわかる」ロイドの声は優しかった。「時に聞くが、王が王になるのは、いつだと思う?」
「王が王に?さあ……王の血を受け継いで生まれた時から、ですか?」
「ならば、民の心を得て、王に推された者は王ではないのか?」ロイドはいつものように、答えにさらなる質問を返して、アランが正しい答えにたどり着く手助けをした。
「じゃあ、王冠をかぶった時かな」アランは言った。
「ならば、王の血を継がず、民の信もない普通の人間がが王冠をかぶった時、何が起きるのじゃ?」いつものように、ロイドはアランを質問攻めにするのを楽しんでいた。「体中の血が黄金に輝くか、天が歌うか、それとも、森の獣がこぞって王を嘉しに参るのか?」
「それは……」
「何も起こらん。そんな飾りに意味はないのじゃ。人が王になるのは、その者が一心に国と、その民を思った時だけじゃ。過去の偉大な王達も、産声を上げたその時から王だったわけではない。グリフィンの言葉を解したからとて、偉大な王になれたわけでもない。今のお前の何倍も老いた者でも、お前よりもずっと愚かだった者もたくさんおった。その者達は王冠を抱いてなお、国を思ったことは一度もなかったからじゃ。しかし、アラン」ロイドはアランの手を取って、傷だらけの手をそっと撫でた。「お前はそう言う者達とは違う。わしにはわかる」
「それでも私には……私にはわかりません」アランはうつむいた。そんな彼女を、ロイドは笑った。